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 夢見る花

 ひとが諦めた時に零れる祈りは花束に似ている。そう無限に告げた時、風息はもう相当に彼を信用してしまっていたのだろう。
 そういう瞬間に多く立ち会ってきた。むせかえるように香るものや、色鮮やかにきらめくもの。からからに乾きながらもまだ姿を保とうとするもの、茎から腐り行きつつあるもの。まだ世界を知らぬままの花開く前の淡い蕾。
 そのたびに、風息は彼らが描く未来の姿を受け取ってきた。その一瞬、最後の力を込めて形にするそれらを抱き留めて、いつかその世界を己の眼に納めようと彼らに風息は誓ったのだ。数々の祈りが自身の判断に影響を与えた自覚はもちろん風息にもあったが、後悔などしていない。
 脈絡なく始めてしまった風息の話を無限は黙って聞いていた。風息が言いたいことを言い切って口を噤んでしばらく静寂を拵えてから、それは本来分かち合うべきものだろうと無限は口にする。
 なんとなく彼が何を言うか、無限が口を開く前から分かっていた。風息にだって分かっていることだったし、そう無限が思わないはずがない。本当なら無限の言葉の通りにするべきなのだ。ひとつひとつは片手で持てるものでも、数が増えていけばいつ押し潰されるかも分からない代物になる。
 自身の負担になり得るものでもあり、だからこそ無限も一人で持つものではないと言っているのだ。彼の主張は至極真っ当で、風息ごときの話術では無限の意見を変えられそうにはない。
 それでも渡したくないのだと、風息は無限と同じくらい時間をかけてから伝えることにした。無限の言いたいことは分かるし、きっとそうした方がいいのだとも分かってはいる。自分が渡してもいいと思う相手がいるのなら、そうすることが未来に繋がるのかもしれない。
 それでも風息はただ、願いがそこにあることを誰かが知っていればいいと思う。受け取ったのは他ならぬ風息なのだから、無断で誰かに渡すのは無責任と言うものだ。
 その一人がお前なのだとはさすがに言わないでおいたが、今となっては言ってしまっても良かったのかもしれないとも思う。あの日の夜明けに風息が抱える願いのひとかけらはすでに詳らかにしてしまったようなものだったのだから。
 風息の表明を聞いた無限は色々言いたそうな顔をしながらしばらく考えて、肩くらいならいつでも貸そうとだけ風息に告げた。自身の体が重く感じることがあれば、支えることくらいはできるから。まるでそういう瞬間がきっと訪れると確信した響きが不愉快ではあったが、彼は龍游での出来事を思い出していたのだろう。
 付き合いが長くなるうちに、無限の言う通りにしてしまったこともあった。ひょっとしたら無限は風息が願いさえすれば、風息を背負って歩いてくれたかもしれない。今の風息でさえさすがにごめんこうむりたかったが、彼は平気でそういうことをする男だ。
 もしもこれからの自分が気がつかないうちに解けた花弁を落としてしまうようなことがあって、その場に無限が居合わせたなら。そのひとかけらくらい懐に潜ませるのを許してやってもいいと思う。たとえ自分が彼の近くからいなくなったとしても、時折風息に託された未来の色を確かめながら進んでほしい。
 そう思えてしまうくらいには、彼との縁も長くなってしまった。知らないと言ってしまうにはあまりにも共に在りすぎたが、たくさんを知っているかというとそうでもない。知人と称するには因縁が深すぎるし、もはや冗談くらいでしか宿敵なんて呼べやしない。
 関係を形容する事すら難しい彼が花束を作る時、それがどんな姿をしているのかがふと気になる瞬間がある。きっとそれを手渡す相手は風息ではなく、今や引く手数多となった彼の自慢の弟子になるのだろうが、猫ひとりに持たせるには随分大物になりそうだ。
 彼がかつて言った通り小黒がひとりで背負う羽目にならないよう、手分けをしてもいいだろう。もし、小黒がひとりで持っていきたいと言うのであれば、無限が風息にしたように肩を貸してやれるようにすればいい。
 そんなところまで考えて、風息はいつももしもの部分を否定してしまう。風息は無限ほどに諦めの悪い男を見たことがない。どれだけ手酷い失敗をしても、求めた結末に辿り着けなかったとしても、翌日にはまたすぐ面を上げて前を見つめている。彼はそういう人間だった。
 けれどもし、もしもそんな日が来るのなら。きっとそれは真っ白で、清廉な形をしているだろう。数が少ない代わりに一つ一つが大振りで、切り離された直後の瑞々しさをいつまでも保ち続けるに違いない。
 誰にも真意を捉えられない癖に、誰もがすぐ分かったような気持ちにさせられてしまう。彼の夢はきっとそういうものなのだろう。そのやけに分かりやすい姿に思いを馳せながら、この目で見る日が来ないに越したことはないと風息は思考を断ち切った。