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 あらしの子

「そういえば、小黒の誕生日ってどうやって決めたんだ?」
 風息が作ってくれた夕食も平らげて、あとは風呂に入ればいつでも今日を終わりにできる。風息が無限に尋ねたのは、そういう頃合いの時だった。
 妖精はそもそも明確な誕生日が分からないものらしい。生まれた瞬間を他者に目撃される事はまずないし、そんな事があってもその妖精が人間の暦を把握しているとも限らない。
 妖精は季節に寄り添う存在である一方で、暦を必要とするような生き方をしない者も多いのだ。たとえば小黒は一人で暮らしていたこともあって、誕生日という言葉すら無限から聞くまで知らなかった。
 交流をする上で便利な代物として使われる事はもちろんあるが、暦と紐づけて特定の日を記念する意識は希薄らしい。故に、年若く人間の文化に馴染んだ妖精でもない限り、誕生日なんてものを定めて祝う者は多くはない。小黒の誕生日には多様な面子が顔を出してくれたのは、物珍しさも手伝っていたのだろう。
「あの子に好きな日を選ばせた」
「生まれた時期が寒かったのかな」
「どうだろう、好きな日を選んでと言っただけだから」
 季節と月が彼の中で一致するように一つ一つ暦を教えている最中に、小黒の誕生日を決めたのだ。まだ数字も良く分かっていなかった小黒は文字の形を気にしながら、冬の初めの一日を選び取った。
 自分の特別を作った満足感に頬を緩める子猫の姿はよく覚えているが、彼が理由を話していたかは覚えていない。しっかりと説明があったのならまるっきり忘れてしまっているということはないだろうから、おそらく理由は聞きそびれているのだろう。
「随分適当な決め方したもんだ」
 人間にとって誕生日ってもっと特別なものなんじゃないの、と風息が少々不思議そうに口にした。風息が言うように誕生日は特別なものだとは思う。けれど、肝要はその日ではなくその人が生まれた事実を祝う事である。日付はそのきっかけに過ぎず、さほど重要なものでもない。
「選ぶのなら好きな季節の好きな日を選んだ方が本人も楽しいと思って」
「まあ、それはそうか……」
「風息には誕生日はない?」
 いまいち得心しない声を上げた風息に問いかけると、紫色が一度瞼の奥に隠れる。たんじょうび、と彼は口にしてからない、と続けた。
「あの頃は暦なんて気にしてなかったし、周りで誕生日がある奴もいなかったかも」
 記憶を掘り返そうとしているのか風息がふいと無限から視線を外してから、ゆっくりと瞼を落として思案する仕草を作る。最後にああ、と小さく声を上げると弾んだ調子で瞼を持ち上げた。
「多分春先の生まれだとは思う。春の嵐の後に俺に会ったって虚淮が言ってたから」
 温かな大気を運ぶ風雨に晒されて濡れ鼠になっている真っ黒い塊を拾い上げる虚淮の姿を想像して、無限は少し頬を緩めそうになる。いかにも団体行動を好まなさそうな彼が構ってしまう程度に風息は悲惨な状況だったのだろう。幼い彼の話に興味がないわけではなかったが、関係上聞き及ぶのすら難しそうなのが残念だ。
「じゃあ今年はその頃にあなたが生まれたお祝いをしようか。龍游に嵐が来たらあなたの所に帰ってくるよ」
 誕生日の代わりにと提案すれば、風息がきょとんとしてからふわりと頬を緩ませる。
「誕生日のお祝いってケーキを食べるんだっけ。二百何十本ろうそく立てて?」
 小黒の誕生会の様子を思い出したのか口にして、無理があるんじゃないかと風息が楽しそうに笑った。実の所人間でもなかなか厳しいところがあるので律儀に立てる必要はないのだが、彼はまだ大人の誕生会というものを知らないのだろう。
「じゃあ、あなたがここに戻って来てからの年数分立てるのはどう?」
「……誕生日ってなんだったっけ」
 目的を見失っている気がする、と風息がぼやいたものの機嫌を損ねた様子はない。龍游で再び暮らし始めた年数を指折り数え上げて、うん、と彼が小さく頷いた。
「でもいいな、悪くない。楽しみにしてる」
 言葉通りに目を細める風息の頬に手を伸ばすと、彼の方からも無限の手の平を迎え入れてくれる。すり、と柔らかな頬で手の内側を擦られて、どこか幼い愛撫に無限も同じ調子で返してやりたくなった。
「今年はと言ったけど、できることならろうそくがケーキに立てられなくなるまで、いや、もっとその先も祝わせてくれると嬉しい」
「……随分気楽に言うもんだな」
 自分達の将来に対して酷く楽観的な望みを口にすると、風息が緩く眉を顰めて無限を窘める。それから頬を無限の手の平から外してしまったので、これ以上彼の機嫌を損ねてしまわないように腕を下した。その指先に名残惜しさを見たのか、風息が苦笑する気配を見せる。
「でもそうだな、俺もそうなればいいと思ってる」
 無限の下した腕に手を置いて、風息がそっと呼気を夜に滲ませる。それからすぐに精々励め執行人、とからかう彼に今度は無限が苦笑する番だった。