5:ゆさぶる



 塩瀬英一郎は何かしら知っている。

 悪魔の体になってから、数えるのが億劫になるほどの年月が流れた。
 後悔も自己嫌悪もし果てて、壊れてしまった砂漠のような世界が終にひとりでに生まれ変わっても自分だけはそのままだった。
 変わっていく世界の中で自分だけが許されずに残ったままなのだ。
 本当に仕方のないことだったのだけれど。

 本質は変われない代わりに、小細工ばかり利くようになったと思う。
 年格好を変えることくらい苦にもならないし、軽い記憶の操作もできるようになった。
 だからこそ、今自分は母親と暮らしていることになっているのだ。
 興味を持って調べ上げられてしまえばすぐにばれてしまうだろうが、このご時勢他者に首を突っ込もうとする輩はそういない。
 学生や社会人の格好をして日がな一日ぶらついていたら不審がられるし、唐突に話しかければ警戒されても仕方がない。
 それが子供の姿だとかなり警戒心が緩和されるのだから便利なことこの上ないのだ。
 ただし平日の真っ昼間だと、何の道変わりないが。

 それでもそれなりに快適に過ごしていたというのに、ここのところ妙な事件が起こり出した。
 マヨナカテレビとかいうのが関わっているのは確実だろうし、それに塩瀬英一郎が巻き込まれているのもまたしかり。
 管理者を気取りたいわけではないが、気にならないはずがない。
 後ろで糸を引いている者がいるのなら、ちょっとばかし意向を聞きたいのだ。
 人を二人殺している時点で真面な目的ではないだろうけれど。

 とりあえず塩瀬英一郎については調べてみたけれど、基本的に彼は嘘をついてはいない。
 居候先は父娘の家庭だったし、父親は警官で多忙だという。
 春先に引っ越してきて、マヨナカテレビに映った人物と懇意にしている。
 死んだ小西という子はジュネスでアルバイトをしていて、塩瀬の友人はジュネスの店長の息子。

 ここまでならまだ偶然で通ると思うのだが、先日の反応は怪しすぎる。
 明らかに彼が語らなかったことがあって、きっとそれは――。


「だぁああ! んなはずねーだろ!」


「ひっ」


 最初に導き出した予測から結論まで思考を進め、最後の締めをしようとした途端に大音量の否定が飛んできた。
 一人の世界に突如刺激が乱入したせいで漏れた情けない悲鳴と共に、声がした遊歩道に視線をやる。
 川沿いの休憩所から見えた光景は、真っ赤な顔をした白髪のやんちゃそうな少年というそうそう見られそうにないものだった。


「……なんだテメー」


 タンクトップの胸の部分にドクロマークが印刷されていたり、ピアスがついていたりと中々どうして不良君である。
 じろじろ観察していたのが気に障ったらしく、視線を鋭くして凄まれてしまった。


「いや、そんな赤い顔で凄まれても……」


 当然ながら顔の赤みなど簡単に引くものではなく、先程とそう変わりはしない。
 そんな顔で何をしても、本物の子供一人恐がらせられないのではなかろうか。
 指摘した瞬間に赤みが余計増えて、どうやら本人が無自覚だったのだと今更ながらに分かった。


「お兄さんこそ道端で何騒いでるの?」


 一瞬白髪は無視しようとする素振りを見せたが、すぐに舌打ちを一つしてずかずかとベンチに近づいてきた。
 ベンチのど真ん中を陣取っていたので、端に寄るとわずかな逡巡の後に白髪は腰を掛ける。
 風貌に寄らず、義理とか厚意とかを無視できない質らしい。

 いや、ある意味セオリー通りか。


「……色々あんだよ」


 背中を丸め太股に肘を突いて、悩ましげに白髪が呟く。
 頬の具合や口調辺りから、弾き出される答えは一つしかないように思えた。


「恋煩いかあ……。さっさと認めちゃえば良いのに」


 恋心くらいわざわざ否定する必要などないように思うのだけれど、どうも彼にとってはそう簡単な問題ではないらしい。
 そうでなければ、他人の思考をぶった切る勢いの否定など飛び出してはこないはずだ。


「な、なんで」


「いや、それくらい誰にだって分かるよ。分かりやすすぎ」


 馬鹿馬鹿しくて溜め息交じりに応じると、思うところがあったのか白髪が押し黙った。


「お前、いきなり知らない奴から聞きたいことがあるって言われたらどうする?」


「は?」


 恋愛云々について語ってもらえるか、それとも思いきり反論されてしまうかと予想していたのに、白髪の言葉はどちらにも当てはまらないものだった。


「どうなんだよ」


「逃げる」


 頭に想像図を思い浮かべると、ここ数日の自分が思い浮かんで即答した。
 唐突に話しかけて、状況を把握しようとする奴なんて自分も含めて信用ならない。


「でも、聞きたいっていう内容にも寄るかも」


 内容に寄るとは言ってみたものの、似つかわしい内容が思いつかなかった。
 まず、道を訊ねられたくらいならそんなに悩むはずがない。


「俺のこと、だそうだ」


 返事が帰ってくるまでの葛藤が手に取るように分かった。
 本当ならなかったことにして立ち去ってしまいたいのに、現状を自分一人では判断し切れない歯痒さと苛立ちが邪魔をする。
 だからといって、子供に相談してどうなる話でもないのだが。
 溺れた者は藁をも掴むというやつか。


「相手の性別は?」


 女性ならただの勇猛なアタッカーということで良さそうだが、男なら話は別だ。


「……多分男」


「多分?」


「別に男か女かなんか聞いてねえ。そりゃ、ナオトって言うからには男だろけどよ」


 信とか晶辺りならともかく、ナオトで女というのは確かに当てはまらない。
 しかし、最近の珍名を思うと可愛い方かもしれない。


「ていうか、そのナオトって人とは会ったんだよね?」


 ああ、と頷かれて一気に混乱した。
 会って話した上で、性別が分からないシチュエーションが理解出来ない。


「……ナオトの年格好は?」


 慎重に状況を思い浮かべて、子供か老人なら当てはまるかもしれないと検討をつける。
 いや、老人なら喋った瞬間に分かるのではなかろうか。


「俺と同じか、年下くらいじゃねえか?」


 本人も確証が持てないらしいが、少なくともこちらの予想には引っ掛かりもしなかった。
 白髪の情報を総合してみると、ナオトという少年らしい人物が白髪にお前のことが知りたいと言ってきている、ということだ。
 恐らく白髪は高校生くらいに見受けられるので、そのナオトというのも高校生くらい。
 そんな年頃の人間を捕まえておいて、男と確証が持てないとはどういうことなのか。

 あえて可能性として上げるなら、ナオトが中性的な顔立ちをしていること。
 声変わりがまだ起きておらず、仕草が洗練されていればなお中性的な部分が強調されるだろう。
 しかし、中性的といっても所詮は的でしかなく、性別が全く分からない状態に即座に結び付くとは思えない。

 ここまで考えた瞬間、ある考えが電波の混線のごとく交ざり込んできた。
 今まで考えたあれこれが一切無駄になった気分になる案である。
 白髪がナオトを男だと思いたくないか、ナオトが本当に男ではないか、だ。
 前者が答えなら、白髪が中性的な部分に望みをかけている。
 後者なら、ナオトが自らの性別を隠し切れていないという結論になる。
 それが多分発言に繋がる原因なのだ。


「なんでそういうこと言われたか身に覚えある?」


 ナオトが可愛かったかどうかという疑問を飲み込んで、まだ答えてくれそうな質問を重ねる。


「あ?」


 長々と考えていたせいか、向こうも何やら考え始めていたらしい。
 半分以上聞いていなかったようだったので、もう一度噛んで含むように説明しようと口を開く。


「だから、ナオトにお兄さんのことが知りたいって言われた理由分からない? 少なくともナオトはお兄さんのこと名前とか顔とかは知ってたんでしょ。そういう機会なかった?」


 少し落ち着いていた頬が再び赤くなって、その頬を白髪が軽く触る。
 眉間に皺を寄せて、記憶を探っているようだった。


「――テレビだ」


 マヨナカテレビが問題になっている今、テレビという共通点が浮かび上がってきてにわかに緊張が走る。
 けれど、そう簡単に顔に出すわけにはいかない。


「テレビ?」


「そうだ。暴走族だとか不良だとか勝手言いやがる番組に撮られて、お袋にありえねえくらい絞られたな」


 自分の母親の説教が余程嫌だったらしく、白髪が苦々しく口元を歪めた。


「それが情報源だとしても、お近づきになりたい理由にはならないね」


 ここが大都会で某かのトップやそれなりの地位に就いているのならともかく、取り入ったところでこんな住宅街ではそう旨みもない。
 けれど例えば、そのナオトがマヨナカテレビに関わる例の事件に首を突っ込もうとしていて、事件に関わってきた人物と白髪との何がしかの共通点に気が付いているのだとしたら話は早い。
 現状ではこちらの都合の良い推測にしか過ぎない、飛躍が過ぎる憶測でしかないのではあるが。

 とりあえずは、シロガネナオトとやらを探らなければならないだろう。
 そして予想通りだっだなら、できれば手を引かせたい。
 あれは恐らく人が関わるには厄介すぎる領域なのだ。
 これ以上関係者を増やすのは好ましくない。


「だから悩んでんだ」


 つまり、お前の始めの憶測は全くの検討外れなのだと白髪が念を押してくる。
 はいはいと抜けた声で相手をすると、視線を鋭くされたが殴られるようなことはなかった。


「でもそのテレビやらせくさいなあ。実際全然不良じゃないじゃない」


「そう思われた方があれこれ言われにくいし、それで構わねえけどな」


 すっと冷めた表情になって、最初から用意されていたような台詞を白髪が口にした。
 殴らないし、ガキの相手もするし、と続けようとしたのに、どうも言い出せそうな雰囲気ではない。
 俗にいう地雷とやらを踏んでしまったようだった。


「自分っていうのは台風の目なんだって」


 本当なら、放っておかれた方が楽なのか、とか言ってやりたい。
 こいつは明らかに自らを防衛しているのだから、問題点はとうに分かっているはずなのだ。
 その壁に対決できない姿は、他者のものだからこそ余計手に取るように分かった。

 子供の姿はこういうとき不便でしかたがない。
 自分が子供という前提を前にすると、年上である誰かに率直な言葉で心について切り込めない。
 切り込んだとしても、一笑に付される可能性が高い。
 相手が子供であるということは彼らにとって逃げ道なのだ。

 自分の心と向かい合わなければならない理由なんて本当はないのかもしれないけれど、人は自分で考えて生きていかなければならない生き物なのだ。
 考えなければ流されて、最後には取り残されてしまう。

 そう、まるで人修羅という悪魔のように。


「なんだそれ」


「台風の目は台風の中にあるんだよ」


 台風の目は台風なしには存在できないならば、自分もまた周りの環境がなければなりたたない。
 そして、周りの環境に合わせて変化するのだ。
 そこに自分がいるならば、その人の周りに誰かがいるのだ。
 その答えに辿り着かなかったらしく、気のなさそうな相槌と共に白髪が顎をなぞった。