15:おしまいに



「ほんっとに済みませんでした!」


 秋めいてきてそろそろ放課後には上着がほしい今日この頃、ジュネスの屋上で達郎が盛大に土下座していた。
 直斗の影に会ってからどことなく様子がおかしいとは思ってはいたものの、まさか直斗と視線が合った瞬間土下座しようとは思いもしなかった。


「やっぱり君はあのときの……!」


「申し訳ない! よもやそんな事情があるとは露とも思わず、的外れな指摘をしてしまいました!」


 頭を下げ続ける達郎を糾弾こそしないが、直斗は肩を怒らせて拳を震わせてその場に立ち竦んでいる。
 このままでは状況が動きそうにないので、とりあえずあのときがいつのことであるか考えてみる。


「あ、もしかしてあのときか」


 達郎が姿を眩ませたとき、直斗に話を聞きに行ったら酷く苛立たれてしまった覚えがある。
 何を言ったんだとは思ってはいたのだけれど、そういえば聞いていなかった。


「今焦らなくたって、後々何とでもなるって言ったんですよ、この人は」


 どうにか怒鳴らないように押さえ込んでいるらしく、言葉の端々が震えている。
 そのときの屈辱を思い出してか、目尻が薄く染まっていた。


「歳を取ったところで解決しないから頑張ってたんじゃないですか! そんな簡単な話なら僕だって悠長に構えてますよ! それくらい読み取ってください!」


「ごめんなさい、どうかしてました!」


 先程までの努力もどこかに吹っ飛んで、直斗の口から怒号が溢れる。
 達郎も自分の犯したミスがあまりに初歩的であると思っているのか、平身低頭で謝り続けた。


「や、まあまあ、ここは抑えて。代わりと言っちゃあ何だけどさ、こいつが俺達の仲間になったときの話してやるからさ」


「ええ!? それはちょっと……!」


 花村の提案に下げ続けていた頭が初めて上げられるが、当人以外はどこ行く風な上に直斗が表情を少し和らげてしまった。


「私も聞きたい! 皆教えてくれないからフェアじゃないもんね」


 りせが手を挙げて同意して、直斗が小さく苦笑した。


「じゃあ、それで手を打ちましょう」









「しにたい……」


 机に突っ伏して、達郎がか細い声を上げた。
 一通り達郎のあれこれが語られるまで、全く音らしい音を立てなかった気概は恐らくは全員が評価するところだと思う。


「どうして先輩達の周りを嗅ぎ回っていたんですか?」


「あああ、やっぱりそうなるよね。今からが真の公開処刑ですよね!」


 机にへばり付いたまま達郎が叫んでも、直斗は発言を訂正したりはしなかった。
 やはり女子とは残酷なものです。


「……心配だったんだよ。関わんないならこっちが勝手にできるけど、そうできる感じでもなかったしさ。それに真夜中テレビを使って何かしようって言うんなら、ちょっと痛い目に合わせても止めなきゃいけないし。実のところ入り方が分かんなかったっていうのもあったんだけど」


「いやー、正義の味方だよね」


 達郎が一瞬野次を飛ばしそうになったが、どうやら千枝が本心から言っていると悟ったらしく良く分からない物を噛み潰しているような顔になった。
 少なくとも苦虫ではない。


「でも、結局まだ影は出ていないんですよね」


 直斗に訊ねられて、もにゅもにゅと口元を動かし続けていた達郎が急に神妙になって小さく頷いた。


「憶測に過ぎませんが、君も塩瀬先輩と同じワイルドなのかもしれませんね。心において沢山あるということと何もないということは紙一重だ」


「ちょ、そこはせめて推測にしとこうよ。……でも、ありがと」


 律義に突っ込みを入れてから、達郎が柔らかく笑った。
 直斗の言うように確かに心の中に多彩な傾向を持つということはあるともいえるし、逆に何の根源も持っていないともいえるだろう。
 それをどう取るかは人次第なのだ。

 そして、自分は彼にワイルドの素質があると信じている。


「どういたしまして。後、さっきの話が本当だと、雨宮君は悪魔ということになるんですよね?」


「信じないの?」


「いえ、そうじゃなくて……。ちょっと言いにくいんですが、実は僕」


 少し直斗が言い淀んで、達郎を手招きして呼び寄せる。
 何の意地なのか机に体をつけたまま寄ってくる達郎に直斗は極々微かな声で何かを囁いた。
 その瞬間、達郎の目が見開かれて椅子を転かしながら立ち上がる。


「ごめん俺、魔界行かなきゃ!」


「何だそりゃ!」


 ああ、もうやだあいつ! とかなんとか叫びながら、どこかへ消えようとする達郎の腕を完二がどうにか鷲掴む。


「ナイス完二!」


「止めてくれるな完二! もしかしたらあいつがラスボスかも!」


「せめて誰かぐらい言ってけよ! わけ分かんねーだろ!」


「……余計なこと言っちゃいましたかね」


 達郎や完二が暴れる度に緩急をつけてがたつくテーブルから避難しつつ、直斗が騒々しい面々を見ながら問いかけてくる。
 ラスボスだなんて重要なキーワードが聞こえてくるのが気にかかるが、今はどうしようもなさそうなのでそっちは放っておくとする。


「何言ったんだ?」


「以前、白昼夢をみたって言ったでしょう? それなんですけど」


「ねーねー、何か食べる!?」


 どんどん三人から遠ざかりながらぼそぼそと話し合っていると、売店側に逃げていたらしい千枝達が騒ぎに負けない大声でと共に手を振ってきた。
 どうやらそう短時間では落ち着かないと踏んだ上で、静観することにしたらしい。


「フライドチキンとジンジャーエール!」


 正直なところ肉気があれば何でもよかったのだが、この売店は肉系の商品が多かった覚えがあるので一応特定をしておく。
 そういえば、最近ちゃんとしたというと妙だが、とにかくジャンクフードの店に行っていない。


「ええと、コーヒーをホットでお願いします!」


「えー、どうせ花村に払わせるから遠慮しなくて良いのに」


 直斗の控えめな注文に思うところがあったのか、千枝が軽いブーイングを飛ばした。


「じゃあもっと頼んじゃおうかなあ……」


「久慈川さん、駄目ですって! 天城先輩冗談ですよね?」


 千枝の横にいたりせが再びメニューを見出したのを直斗が叱責して、助け舟を出してくれそうにも見える雪子に助けを求める。
 しかし、こういうときに大抵雪子は助けてくれないので、この辺は彼女も学んでいかなければならないだろう。


「……私、フライドポテト頼もうかな」


「まあ、花村が嫌がったら皆で出せば良いんじゃないか?」


 雪子までがメニューに目をやり出したのを見て、直斗がこちらに縋るような視線を向けてきた。
 自分で言いながら、言いくるめられて全額支払う花村の姿が見えなくもないが無視する。


「で、白昼夢だったっけ?」


「あ……はい。電車で、長い金髪の男の子に会ったんです。そこで、僕がこれからこの事件に深く関わるって言われて。後、人だった悪魔とかなんとか」


 先までいたテーブルに視線を戻すと、いつの間にか暴れていたのが口喧嘩らしきものに移行していた。
 人だった悪魔は花村から先走るなと叱責されてむくれている達郎のことに違いない。


「でも、あの子が言っていたことを鵜呑みにすれば、この世界は雨宮君がいた世界ではないかもしれないんです。創世した前と後の世界を分けているだけかもしれないんですが、世界を巡り続けるとも言っていましたし」


 顎を軽く引いて作った拳を口元に添えながら直斗がすらすらと考察を続ける。
 現実的なことではないとは思いながらも、何度も考えていたことだったのかもしれない。


「……それでも、達郎は確かに世界を作ったんだ」


 口には出さないが、多分直斗の考察は前者が正しいのではないかと思う。
 この世界が何か一つの思想の下で動いているようには到底思えない。
 コトワリ、つまり何の思想にも属さない混沌であり、人が想像し得る最上の自由の世界。
 だからこそ不平等で、いつもどこかで誰かが苦しんでいるのかもしれない。

 でも、それでも曖昧な不完全な世界だからこそ、今自分は幸せを得ているのではないだろうか。
 普通ではない力の中のでさえマイノリティーな力の持ち主が、こんな世界だからこそ受け入れられているのではないだろうか。


「だって、あいつは本当に危ないからさ!」


 達郎が諦め悪く叫んで、花村と完二の二人から距離を取る。
 彼が心底本気で言っていることくらい、背中しか見えなかったとしても分かった。
 隣であからさまに警戒を深めた直斗に笑いかけて、背後から一気に達郎との距離を縮めて羽交締めにする。


「ちょっ、英一郎!」


 少し背丈の低い達郎が軽く爪先立ちになりながら、後頭部を打ち付けるついでに様子を窺ってくる。
 顎のラインを結構容赦のない勢いで掠めて行った頭を確認してから、いつも首の後ろにあるはずの突起の隠し場所を何とはなしに考えた。


「その人もきっと心配してだんだよ。世界を作った人が愛されないなんてそんなことあるはずないんだ」


 そうだろう、と寄ってきた直斗に告げると微妙な相槌と共に帽子を深めに直されてしまった。
 暴れる気配をみせていた達郎も何だか大人しい。
 あいつが心配とかそれはない、絶対ない、とかなんとかやけに早口にもごもごと呟いているのがどうにか聞こえた。


「だから、そういうのは女の子にしろって言ってるだろ……」


 どことなく力の抜けた花村の指摘は秋の色の薄い青空にぼんやりと溶けていった。