1:生きることに手は抜けない



「え、お前バイトしてないのか?」


 始めは旅館の手伝いで賃金は貰えるのか、という話だった。
 雪子が来るまでは労働法が何だの余り明るくない方面の知識を振り絞っていたのだが、本人が現れると簡単に答えが出てしまった。
 賃金は小遣いとして支払われるとのことだった。
 よくよく考えなくとも、花村だってそうじゃないかと非難したりしていた内に今に至る。


「いや、向こうではしてたけど、菜々子もいるし余り遅くなる仕事はしたくないんだ」


 夜に料理を作ってやることもできないのに、それでも菜々子は嬉しそうに学校での出来事を話すのだ。
 誰かと家族として生活できるのが余程嬉しいらしく、始終にこにこしている。
 お休みなさいと笑うあの子を前にして、バイトに励める人間なんてそういない。
 まあ、生活が掛かっていれば別なのだけうけれど。


「そっか、菜々ちゃんか」


 雪子が強敵出現というふうに指先で顎を叩く。
 一応難しそうに眉間に皺を寄せてはいるものの、声は軟らかいままなので心情は言わずもがなだ。


「またお前どっかのシングルマザーみたいな悩みを……」


「え、じゃあ花村は菜々子ちゃん置いていけんの?」


 千枝の非難めいた口調を受けて、花村がびくりと肩を揺らした。


「んなっ……揚げ足取らないで下さいよサトナカサン」


 言外に無理、と言葉の端々に漂わせて、花村が苦く笑う。
 腕を組んだ千枝がしかたないというふうに笑ったのにつられて、小さく笑みが零れた。


「でも、遅くなる仕事は嫌ってことは、バイトはしたいんだ?」


 雪子が小首を傾げて、語尾のイントネーションだけで質問の雰囲気を漂わす。
 バイト云々はともかく、お金は欲しい。
 つまりはそういうことなのだ、と頷いて見せる。


「今、花村の備品が買えるかどうかの瀬戸際なんだ……」


 始めは武器と言おうとしたが、さすがに教室内で口走る言葉ではないので無理やり言い換える。
 一瞬理解が及ばなかったらしく、面々が何度か瞬きをした。


「あー、いや、欲しいけど、ポケットマネーっていうのはちょっと心苦しいというか、悪いというか」


 合点が行ったらしく相槌を打ってから、花村が言葉を濁す。


「後で余裕ができたら向こうの分から取れば良いかなと思ってるんだけどな」


「基本的にはリーダーに賛成なんだけど、余裕なんて出るもんかな?」


 手を上げるのと同時に、千枝が至極もっともな意見を上げる。
 今現在余裕がないのだから、今後お金が余る確証などどこにもない。
 花村も臨場して頷いて、雪子が小さく挙手した。


「買う物にある程度優先度とかつければ良いんじゃないかな? ほら、守る方はやっぱりお金に糸目つけない方が良いと思うし」


「じゃあ、花村って元々パワータイプって感じじゃないし、あんまりいらないんじゃない?」


「おっと、容赦ねえ。確かにまだいらないような気もするんだけどな、俺自身」


「かといって他に買い足す物もないし、無駄に買うとかそういう次元の代物じゃないだろ?」


 戦闘が楽になるのは日常生活を送らねばならない自分達にとって重要だし、出費を惜しんで取り返しのつかないことになってはいけないのだ。
 そう思うと、少しくらいならポケットマネーをつぎ込みたくなるというものだ。


「もー、これじゃ堂々巡りじゃん!」


 諸手を上げて千枝が降参して、机に突っ伏す。
 それから顔だけ上げて、こちらに軽く睨みを利かせた。


「どっちにしても、バイトはしたいんでしょ?」


 結局譲るつもりがないことを見透かされて、苦笑しながら小さく頷く。


「だったら、是非ジュネスに! って言いたいとこだけど、やっぱり日雇いとかの方が良いよな……」


「日雇い?」


 土木関係でも週給のような覚えがあるのだが、今日に日雇いのバイトなんかあるのだろうか。
 ただの派遣の間違いのような気がする。
 派遣だと一日仕事になってしまうから、むしろ高校生にはできないのではないだろうか。


「商店街のとこに掲示板あるだろ? あれに張ってあるんだよ。エプロン付けて学童保育の先生とか学童の先生とか」


「そうか一択かああお前の気持ちは良く分かったよし一緒にやろう」


 間を開けず一気に言い切って、花村の両肩を掴む。
 こっちは全力で視線を合わせようとしているのに、花村の視線の明後日に行きようったらない。
 一瞬視線が行き交ったのか、机に突っ伏したままだった千枝が噴き出す。
 雪子が平然としているのが予想外だったが、単につぼでなかっただけなのだろう。


「花村の言いようもないけどさ、他内職系ばっかだよ? 家庭教師は曜日固定されちゃうだろうし、病院掃除とかおもいっきり夜だし」


「花村君も別にエプロン嫌ってわけじゃないよね。ジュネスで良く着てるし」


「ええ、急にそっちに話題変えるか!? いや、あれは仕事というか至上命令だから、ノーコメントの方向で」


 雪子と花村の会話は放っておくにしても、千枝の言葉は聞き捨てならない。
 さすがに内職は効率が悪過ぎるだろうし、スケジュールを思うと学童しかなさそうだ。
 エプロンか、と思うと何となく溜め息が出た。


「……たかが布切れ一枚だ、すぐに慣れるって」


「その言い方余計へこむ……」