接続不良



 鎌鼬事件と囁かれているらしい。

 夜道を歩いていると、裾とか袖とかとにかく服の一部が切り裂かれる。
 少しだけ怪我をする場合もあるようなのだが、切り口が綺麗だからか治るのが早くて傷痕も残らない。
 手口が妖怪のそれに似ているから、とメディアが名付けたらしかった。
 実際、事件の発生現場周辺が昔に山を切り崩してできたとか、オカルトめいた雰囲気を出す報道までする始末だ。

 馬鹿馬鹿しいと一笑に付す外なかった。
 現代に妖怪だの心霊現象だのと言って、真に罰せられるべき人物から目を逸らさせようとするなんて愚の骨頂である。

 事件の発生時刻や現場を見ていけば、犯行に規則性があるのはすぐに分かった。
 劇場型の者の犯行で、今頃はワイドショーを見てにやついているに違いない。


「……何ですか、あなたは」


 頭から爪先まで真っ黒な男が、街灯の光と暗闇の間に立っていた。
 小脇に、本当に荷物でも持つような感じで人を抱えている。
 二つに折り畳まれた体が着ている服には傷一つない。


「この事件はこちらで受け持つことになりました。申し訳ありませんがお引き取り下さい」


 深々とお辞儀をされるが、こちらが礼を仕返す理由もないだろう。


「もしやまだ、連絡が行っていないのですか」


 自分よりも丁寧というよりも、古風な口調に瞬きで返す。
 何も知らない。何も聞いていない。
 分かるのはただ、自分がした事件発生時刻と場所の推測が間違っていなかったということだけ。


「そうですか。では後程に知らせがあるはずですので、ここは引いて下さい」


 そうして忘れてしまうと良い、と男は続けた。


「そういう訳にはいきません! 白鐘家の者として一度関わった事件から手を引くなどできるはずがない」


 ましてや忘れることなどどうしてできようか。
 言い切ると小さく男がしろがね、と囁く。


「……ならば葛葉には関わるな、と言われたのではないですか?」


 今度はこちらが口にする番だった。
 くずのは。
 先代から彼らとは接点を持つべきではないと堅く戒められた。
 棲み分けというものがあるのだ、と。

 噛み締めた奥歯が嫌な音を発てた。





 最期の足掻きで迫ってきたシャドウに、至近距離で銃弾を叩き込んだ。
 胸の悪くなる断末魔を上げて体勢を崩す異形を脇目で見ながら、残弾を確認する。

 後一匹。恐らく自分が攻撃するまでもない。

 そう判断を下すか下さないかの内に同じような声が響いて、刃を支え切れなかった体が足元まで吹き飛ばされてきた。
 傷口から溢れる暗い体液が靴を汚さない前に一歩下がって、最後に攻撃を放った主を見やる。


「大丈夫か?」


「あ、はい。怪我もないですし」


 恐らく、接近戦ではない武器を使う者にシャドウの近接をさせたことに思うところがあるのだろう。  けれど、彼はそうじゃなくて、と口籠もる。


「疲れてないか」


 少しばかりの沈黙は上の空とか、とにかく自分を責める言葉を避けるための時間だったのかもしれない。
 確かに余計なことを考えてしまっていた。
 足を踏み入れるべきではない事件に関わってしまったときのことなんて、戦闘中に思い出すことではない。


「あの」


 話すべきかもしれないと思った。


「どうした?」


「あ、いえ、何でもないです。すみません」


 けれどそう思ったのは一瞬で、首まで振って否定した。
 今、話してどうなることでもない。
 きっと混乱させてしまうだけだ。

 帽子の上から頭に手を乗せられて、やめて下さい、と小さく主張する。
 見た目よりもスキンシップを好む彼はほんの少し楽しそうにすまない、と謝った。
 こんな風だからこそ、この後も険悪な雰囲気にならずに済むのだろうけれど。


「塩瀬!」


 花村に呼ばれて、彼はくるりと背を向けた。
 その後を付いて行きながら考える。

 鎌鼬事件なんて、当時は信じられなかった。  けれど、この歪な世界の淀んだ黄色い空を見上げる現状を思うと否定することはできない。
 鎌鼬、つまり妖怪だの幽霊だのの存在も自分はまだ見たことはないが、あるのかもしれない。
 ならば、何故彼らが今回の事件に着手しないのか、という疑問がないわけではない。


「棲み分け、か」


 前を歩く塩瀬に気づかれないよう、口の中で呟く。
 まだその葛葉とやらが関わらなければならないほど、人間離れした事件ではないということだろう。
 それならば、やはり自分が、白鐘家の五代目である自分が引き下がるわけにはいかないのだ。

 手にしたままで掌の体温を移した拳銃をホルダーに直して、いつの間にか開いていた塩瀬との距離を詰めるべく直斗は少し足を速めた。