種を蒔く人



「壊れてる」


 小さく囁いたつもりだったのに、その囁きは大きく部屋に反響した気がした。


 お前は、と発した声の後にできた隙間を埋めるために繋げたような言葉だった。
 あの言葉は別に狂ってるでもどうかしてるでも良かったのかもしれない。
 けれどあのときに口をついた言葉は壊れているで、返ってきた言葉はそう。


「別に俺は、自分の仕事をしてるだけだ」


 ああ、そうだ。そうだとも。
 自分は蝉という殺し屋に依頼をしたのには間違いなく、同時に同業者は殺して構わないと言ったのだ。
 殺すなと言われた者は殺さず、殺して良いと言われた者は殺す。
 彼は、蝉という青年は忠実に仕事をこなしているだけだ。


 仕事を遂行するのは大切なことだ。
 そうして彼は大切なことをちゃんとしようとしているだけで、悪いのは自分外ならない。
 後ろ暗い仕事をやる方が悪いなどただの言い訳にしかすぎず、事業というものは需要がなければなくなっていくものなのだ。
 需要があったから殺し屋業はなくならなかったし、あの青年も殺し屋になったのだ。
 今回の仕事は多少特異だが、自分は彼に仕事を与え、彼はその金で生きていく。
 自分もまた蝉を殺し屋のままでいさせる一人なのだ。


 なんとかしてやりたい、と移動中の彼を見てそう思った。
 どこか懐かしい感覚は数日来混乱していた脳をいくらか冷やし、いつその感覚がいつ湧き起こっていたものかを思い出した。
 まだ自分が若かった頃、この街に政治に日本に抱いていた歯痒さに満ちた感情。
 ある日突然なくしたものではなく、徐々に見失っていたものだった。


「わしも、自分の仕事をしているだけだったか……?」


 おぼろげになるほど過去の出来事や、つい最近の言動が脳裏を暴れまわって静かになった。
 自分以外誰もいない部屋は家電の小さなモーター音が響くばかりで、全てから拒絶されたような心地になる。


「いいや、していない。わしはしなければいけないことすらしていなかった」


 今更遅いのかもしれないけれど、気づいてしまったのだ。
 どうにかしたい、してやりたいと願う古びた心。
 自分は政治家である前に人間であって、蝉もまた殺し屋である前に人間なのだ。


 望まない彼は気が付かないかもしれない。
 それでもいつかくるかもしれないそのときのために。