いつかへと至る道



 電車の中は結構な込みようだった。
 通学ラッシュのピークを2、3本ずらしただけなので当然といえば当然だが。
 そのスーツや学生服が大半の車内に、突然蝉のような格好の者がいればこれまた当然目立つ。
 他の者が派手に反応するわけではないけれど、その事実に安藤は心臓が掴まれる思いだ。
 最後尾の車両だったので、まだ座席が埋まり切ったところだったらしい。
 蝉が車椅子用のスペースに寄りかかるまでの間、少しだけ空気が冷えていたような気がした。
 変に離れることもできずに安藤もその横に立つと、扉が開いたり閉じたりしながら閉まった。


 急行の2駅目は中規模の街中の駅だったので、急に車内の密度が増した。
 視線だけで伺った蝉の視線は吊り広告をぼんやりとなぞっていて、どうやら暇らしいということが読み取れただけだった。
 どこに行こうとしているのか、そこで何をするつもりなのかも全く分からない。


 中心地の駅に近づくにつれ人は増えていき、あまり詰めたくない蝉との距離を詰めざるを得なかった。
 蝉は周りに気を使ったのか、それとも誰かと当たるのが嫌なのか腕を組んで長椅子の肘置きに当たらないぎりぎりまで寄って立っていた。
 多分後者だとは思うのだけれど。

 中心地の駅に着くと一瞬、乗ってきたときよりもほんの少しだけ車内が空いた。
 降りるのかと思って蝉をまた伺うと、ちょうど蝉は真横の空いた席に腰を下ろそうとしているところだった。
 端の一人分を空けて座っていることに気が付いた途端、物凄い絶望感に襲われる。
 気を使っているだけなのか、嫌がらせか何かなのか。
 やっぱり後者だろうと安藤は思った。




 昨日来共に行動している安藤はずっと感情を隠そうとしない。
 それだけ一杯一杯なのだろうと蝉は適当に見当をつけて、愕然として突っ立ったままの安藤を見た。


 別段睨んだわけでもないが、安藤は射竦められたように肩を震わせてから席に近寄ってきた。
 都市部からオフィス街に向かうらしい人々が車内に乗り込んできた空気の流れに押されるように安藤は長椅子に腰を下ろす。
 ゆっくりと外の乗客に振動を伝えない座り方は、多分蝉がいようといまいと変わらなかっただろう。
 そんな几帳面さが安藤にはあるように思えた。
 入ってきた乗客が蝉の横の隙間に座ろうとして、内心舌打ちをする。
 こういうものは始めは窮屈でも、案外どうにかなってしまうものなのだ。
 分かってはいるのだが、始めの窮屈さはいただけない。
 それでも蝉が席を寄せると、すみません、と呑気に謝る声がした。
 少しでもそう思うのなら座るな。


 触れる体温に不快感を感じて座り直すと、次は逆の肩に体温を感じた。
 途端にびくりと震えて、安藤が縮こまったせいで温度はすぐになくなってしまった。
 先程の湿気た暑さとは違い、冷房の中に長くいた腕はひんやりと冷たかった。
 生きているのに死んだように冷たい。


 苛立ちを紛らわすように溜息を吐く音に安藤がまた怯えるのを感じ、余計腹が立った。
 死んだように生きていたくない、と歌ったのはいつものなんたらクリスピンだと岩西は言っていた。
 岩西の台詞は誰かのコピーで何も考えていない上、使い所も間違っていたりするので聞くだけで蹴り倒したくなる。
 けれど、あの台詞に関してだけは同意せざるを得ない。
 蝉自身も死んでいるように生きていたくはなかったし、そんな様子の他人を見るのも腹立たしい。


 だったら生き返らせてやればいい。
 生き返らせてやれば、一応自分の苛立ちも収まるだろう。
 そう思うと気分は少し晴れて、蝉は仕事場への道を頭に描き始めた。