ドイツは結構な北緯に位置するため、北部になると白夜になるのだ。
彼女が住んでいるあたりでは一晩中明るいということはないが、それでも中々真っ暗にならない空を感嘆と共に眺めた日のことを今でも覚えている。
当然夜ばかりが明るいはずはなく、早朝と称される時間帯も吃驚するくらい明るい。
そんなドイツは今、休日の午前六時だからかひっそりと静まり返っている。
昼間と大差ない明かりの下で、犬の散歩の時間を逃してしまったのか人影は見当たらない。
こんな時間に会いにいったなら、彼女はどんな顔をするだろうか。
久々に設けたらしい長期休暇を聞きつけて、半分以上無理やり休暇を合わせてしまった。
夜遅くに仕事を終えてから仮眠も挟まず移動をし続けていたからか、妙にテンションが高いのが自分でも分かる。
彼女達の家に辿り着いて、小さく深呼吸をする。
その間に微かな足音が家の中から聞こえてきて、思わず腕時計に目を落とした。
六時四分。休暇中に起きているような時間とは思えないが、まあ彼女らしい気もする。
僅かに口角が上がるのを感じながら、呼び鈴を押すと俄かに足音が大きくなった。
「やあ、ドイツ!」
「イタリア!? どうやってこんな時間……ああ、いや、忘れてくれ。すまない」
玄関口で時間を配慮しない音量で叫んだドイツにハグをして頬に口付けると、少し落ち着いたらしい彼女が小さく首を振りながら謝罪する。
確かにイタリアがこんな時間に起きていて、あまつさえ彼女の家を訪ねてきただなんて初めてのことだろう。
だから、彼女の暴言に近いそれは全く気にならなかった。
「あのね、俺、お前といるためなら結構色々できるんだよ」
抱きつく力を少し強めて耳元で囁いてから、リップ音と共に耳の輪郭に唇を落とす。
それから少しだけ顔を離せば、如実に動揺している可愛い人の瞳が映った。
「こら、俺が出るって言っただろ?」
「電話中の人に来客対応をさせられるはずがないだろう」
足音が聞こえるか聞こえないかの辺りで手を離されてしまったが、彼女の性質を思えば仕方あるまい。
応答のため振り返った彼女の背に完璧に顔が隠れてしまっているせいか、プロイセンがイタリアに気づいた様子はなかった。
「だからって、こんな時間に客とかおかしいじゃねえか」
妹にそんな危ないことはさせられません、というふうに唸るプロイセンに呆れを含んだ溜め息をドイツが吐き出した。
「……イタリアだ」
「チャオ、プロイセン」
玄関口で固まったプロイセンに抱きついて挨拶をしたら、結構遠慮なしに顔を指で押すように伸ばされた。
痛くはないけれど、鼻の皮が伸びそうだ。
「特殊メイクではないであります!」
「みたいだな、悪い」
ドイツ語の朝の言葉と共に指の代わりに振ってきた柔らかい挨拶に頬を緩めて返事をする。
ドイツの義務を感じさせるそれとは違って、彼の一連の動きが喜びに満ちているように思えるのはイタリアだけなのだろうか。
同じ土地に生まれた同士のはずなのに、どうしてここまで違うものなのかと不思議に思うことがある。
今のプロイセンのような彼女の満面の笑みがもっと見たいと思うのはわがままなのだろうか。
「ところで、二人とも朝からどうしたの?」
「それはこっちが聞きたいくらいだが……まあ、挨拶回りというかそんなところだ」
指先を額に乗せながらドイツが珍しくもごもごと答えるので、自然と首が傾いて疑問を形作った。
本当にどういう意図なのか掴みきれない。
国にとっては挨拶回りなど、国内外に関わらず仕事の一つなのに。
「そんな堅苦しいもんじゃねえだろ。ほら、年に一回くらいは身内に顔見せしとかなきゃなってことで、帰省じゃねえけど隠居してる奴らに会いに行くんだ」
「だからお前には休暇のことも言っていなかったのに、どこから聞きつけたんだ?」
「偶然ドイツが電話で休みがどうこうって言ってたって、日本から聞いたんだよ」
それで吃驚させようと馳せ参じたわけなのだが、こんなことになろうとは思っても見なかった。
さすがにこれでは迷惑をかけてしまったと評せざるを得ない。
ドイツが心底迷惑そうではなくて、むしろ申し訳なさそうにしているのが余計に辛かった。
「……ごめんね、楽しんできてよ」
「イタリア……」
「イタリアちゃんも来たら良いじゃねえか」
しんみりしたところにあっけらかんとしたプロイセンの声が響いて、俄かにドイツの瞼が開かれる。
凄く楽しそうではあるが、彼女の家族が彼女のように厳格だったら、家族の交流に他者の同行を許すだろうか。
日常的に会う仲であればともかく、立場上貴重な時間に違いない。
「いい加減、イタリアちゃんも家族に挨拶しなきゃいけない時期だろ?」
ドイツと二人して返事に迷っていると、やたら楽しそうにプロイセンが言葉を続ける。
一瞬で目元を真っ赤に染めるドイツを見てしまうと、こっちまで心音が跳ね上がってしまった。
ドイツと一緒にいられるならどこでだって良いし、それが彼女の家族の下だったならそれ以上に嬉しいことなどそうそうない。
「いや兄さん――」
「ああ、何度も悪いな。いやな、ヴェストが紹介したい奴がいるっていうから」
「兄さん!」
返事を聞く前に携帯電話で話し出した兄から通話権を奪い取ろうとドイツが間を詰めるが、それ以上にプロイセンが家の中に逃げ込む。
「ん? ああ、頼むな。……喜べヴェスト、ダブルベッド用意しとくってよ!」
「っ、この……!」
本人は廊下の向こうに消えながらもでかでかと聞こえてくる声に、ドイツが恥なんだか怒りなんだかを込めて握りこぶしを作る。
それでも追いかけていかないのは、ここにイタリアがいるからだと思うとやけに愛おしい。
握りすぎて白くなってきた手に触れて、途端に力が抜けた指に自らの指を絡める。
「……その、どうする?」
反射的に一瞬逸らされた視線が再び合ってから、彼女が小さな声で尋ねてくる。
その瞳に不安が滲んでいるのが分かって、どうしようもなく笑みが零れた。
可愛い人、俺はお前の家族に会いたいよ。
より多くの家族に会うことでこれからの責任を負うことになるのなら、その責任がほしくて堪らない。
お前のためなら色んなことができるんだ。
「隊長の行く場所にならどこへでもであります!」
敬礼をして見せると、ふわりと彼女が笑う。
そうか、と柔らかな声が耳元で転がって、イタリアはドイツを抱きしめた。