予想に反してシャワーを浴びたら目が冴えてしまったが、残念ながら今は眠りに就くのが正しい時間である。
先程までの眠気は一体どこへ行ってしまったのかと溜め息を吐きながら、こんなことなら先程の打ち上げで無理やりにでも酔ってしまえば良かっただなんて思う。
公共の場で肌を露出するという異常な状況にテンションがおかしくなってしまったのか、打ち上げはいつも以上に混迷を極めた。
恥を忘れようとするが如く、給仕が追いつかないくらいのスピードでエールを胃に収めていくルードヴィッヒに中てられたのか菊まで深酒をしたらしい。
今回呼び寄せた手前、主催としての仕事をこなしている内にものの見事飲むタイミングを逃してしまった。
嗜む程度にはアルコールを口にしたものの、足取り一つ怪しくならないようでは寝酒にすらならない。
アルコールに支配されない身体は明確に疲れを伝えてきて、ホテルの部屋に帰って来た瞬間ベッドに倒れこんでしまった。
落ち着いた暖色の生地だから汚れは分からないが、恐らくファンデーションが映ってしまったことだろう。
これ以上掃除の面倒さを拡大しないために慌てて寝返りを打ったが、そもそも客室の備品なのだから綺麗汚いに関わらずクリーニング送りだ。
自分がどこにいるのかも把握していないようだ。
一日中気を張っていたとはいえ情けない。
このまま目を閉じ続けてしまうと眠り込んでしまえそうだが、せめてシャワーを浴びて寝巻きに着替えたい。
ゆるゆると溜め息を吐いてから、アーサーは重たい身体をバスルームへ運んでいったまでは良かったのだ。
あのときの自分はそのまま髪だけ乾かして、自宅よりもずっと豪華なベッドに飛び込んで眠る以外の未来は見えていなかった。
いっそ、ルームサービスでも呼んで本格的な寝酒でも嗜もうかと考え出した辺りで、部屋に電子音が響き渡る。
どうやらこの部屋の呼び鈴らしかった。
このタイミングで自分の部屋を訪れる輩は数人しか知らない。
そもそもアポを取るという概念がないらしい元弟分と、アポを取るつもりが一切ない海の向こうの腐れ縁とそれと。
そこまで数えたところで、携帯電話がきっかり三回呼び出し音を発する。
この合図で扉に入る相手は確定である。
あの二人はそんなことは絶対にしないし、彼であれば必ずやる。
遠くから来る場合であれば事前に約束や電話を入れてくるが、ホテルなどの極短距離の移動でしかない場合は必ずこの手法を取る。
ほとんど部屋にいることが分かっている上に、歩きながら静まり返った廊下で電話をするのも気が引けるというのが理由なのだろう。
部屋で電話をすればいいと思わなくもないが、その時間が惜しいのだと示してくれているようでアーサーはずっと指摘できずにいる。
「お、案外元気そうだな」
「ランナーズハイって奴だろうなあ……さっきまでめちゃくちゃ眠かった」
ベッドに転がしていた身体を持ち上げて、来客を出迎えに行けば想定通りの人物がそこに立っていた。
アーサーの表情を見て少し頬を緩めたギルベルトに肩を竦めて見せると、彼の口角がにいっと上がる。
「飲んでるときのお前見てたら中座させてやりたくなったくらいだったぜ?」
廊下で話させるのもなんなので部屋に向かえ入れてやると、そのままドアノブを奪われて後ろ手で閉められる。
カードキーのオートロックが掛かる音が聞こえるか聞こえないかの頃には、彼に身体を引き寄せられていた。
「あー起きてくれてよかったぜー」
全身からアルコール臭がするかと思ったが、髪から普段は感じない華やかな香りがするだけだった。
どうやら彼も風呂に入ってきて、多少なりともアルコールを嗜んだアーサーには不快感を覚えられないくらいにはしてきたらしい。
そもそもそれほど飲んでいなかったという可能性もないわけではないが。
「寝てたらこのまままた一人で抜かなきゃいけなかったからな」
特徴のある笑い声が耳元に転がって、彼がやけに上機嫌なのが分かる。
賭けに勝ったのがそんなに嬉しかったのだろうか。
「不安だったらさっさとくればよかったのに」
「いや、さすがに眠たいって言ってる奴押し倒すわけにはいかないだろ」
睡姦は趣味じゃねえし、とぼやく彼に勢いでそんな経験があるのかと尋ねなかった自分を誰か褒めてほしい。
何だかんだで特殊性癖を持ち合わせているのが普通のお国柄である彼なら、一度くらいは試していそうで怖い。
「お気遣いどーも」
少し声が皮肉っぽくなるのは、自分が照れてしまっているからだろうか。
何をしに来たかは来訪者が特定された時点で分かっているようなものだが、相手の体調を考えて断念するという選択肢が存在した事実が嬉しい。
自分の欲望よりも恋人を優先しようとしてくれている彼の気配りが、アーサーにとってこの上なく幸福に感じるのだ。
いい加減ギルベルトもアーサーの振舞いは承知しているようで、ますます上機嫌に彼女を抱きしめる力を強めるだけだった。
今までは身じろぎをする余裕があったが、今は僅かではあるが息苦しさを感じるくらいだ。
昼間に見た彼の身体がアーサーの身体にぴったりと付いて、その暖かさに驚きを覚える。
彼の興奮が伝わってくるようで、眠気に似たような目眩を感じながら彼の背中に腕を回す。
「――ん、あ、ちょ、ちょっと待て」
額を合わせるようにして顔を上げさせられて、素直に彼からの口付けを受け入れた。
数度啄ばんで満足したのか、ギルベルトがアーサーの拘束を緩める。
そっと身体を押されて壁に背中が付いた辺りで彼が全く満たされていなかったことに気がついた。
「何だよ」
角度をつけてより深く口付けようとしていたギルベルトが少し焦れったさを感じる声を上げる。
アーサーを見つめる赤い瞳が情欲に彩られているのが分かった。
「ここではさすがにちょっと」
「ん、ああ、しかたないか」
扉の方に視線を走らせると、釣られたようにギルベルトがアーサーから視線を外す。
室内はある程度の防音が効いているようだったが、扉には限界があるだろう。
これから行う行為を拒否したいわけではないが、声があからさまに漏れ聞こえるのはごめん被りたい。
「男の身体に興味ないんだと思ってたな」
「あー、興味ないというか、どんぱちやってた頃に見飽きた感はある」
身体にかかる重圧が遠のいてほんの少し寂しさを感じる。
すぐに指先を自らのそれで絡め取ったギルベルトに先導されて、先程まで自分がいた室内に戻りながら何世紀か前を思い出した。
事あるごとに脱ぎ出す隣国の影響もないわけではないだろうが、やはり男社会に長く身を置いていた経験が男の身体に対しての関心を薄める原因だったと思う。
あんな世界で男性の各パーツに関心を持ってたら死ぬ。
文字通り身が持たない。
「でもまあ、やっぱり」
何の気なしに口にしようとした言葉があんまりにも恥ずかしいものだと思い至って、慌てて口を閉じたが既に遅かったらしい。
意地の悪い笑みを浮かべたギルベルトが視線を投げかけているのを感じながら、アーサーは顔を逸らし続ける。
「やっぱり何だよ」
「……言わせんな馬鹿」
心底嬉しそうな声で尋ねてくるのを聞いてしまうと、心の隅がじんわりと暖かくなるのを感じる。
けれどそれ以上に頬が熱くなるのを感じて、そのまま逃げ出してしまいたくなった。
そんなアーサーの心の動きを察してか、ギルベルトはアーサーを導くために繋いだ手を捕らえる用途に変更するつもりらしい。
ベッドの前で抱えられたかと思ったら、すぐさまシーツの上に寝かされる。
落ちてくる影に圧力を感じた。
「俺は女の身体に興味がないとは言えねえけど、お前の身体は格別だぜ?」
よくもまあ、恥ずかしいことをぬけぬけと言ってくれるものだ。
目の際に近い頬を撫でられて反射的に瞼を閉じながら、呆れに近い感情を抱く。
「何だよ、そっちが言おうとしてたんだろ」
「途中で言うの止めただろ」
呆れが表情に出てしまったのか、興が削がれたらしいギルベルトの眉間に力が籠る。
同じようにげんなりした表情を浮かべると髪をわしゃわしゃとかき回された。
「ちょ、こら、俺はお前の家の犬じゃねえって!」
「そうだな、あいつらならそんな逆らわねえし。ったく、今日頑張ってやったのによーちょっとぐらいご褒美くれたっていいだろ」
腕を掴んで止めようとするが、ギルベルトの愚行は止まりそうにない。
ある程度アーサーの髪を蹂躙して満足したらしい彼が、シーツに横たわったアーサーを引き上げて胡坐をかいた上に移動させた。
「なーご褒美くれよ」
「……なにがほしいんだよ」
大型犬が甘えてくるように首筋に頭を押し付けられ、思った以上に筋張った首が視界に入る。
彼の男性性を目一杯主張してくるそこに耳まで熱くなるのを感じながら、アーサーは彼の要求を促した。
「お前が見て冷静でいられないところ触って教えてくれるだけでいいぜ」
「な」
「口で言いたくないんだろ?」
唇で耳元を擽りながらのおねだりに耐え切れず、そのまま甘えてくる彼を引き剥がす。
口元がにまにまと動いているところを見ると、初めからアーサーにそうねだるつもりだったのだろう。
「……奉仕なんてしたことないし、うまくなくてもしらねえからな」
性行為の最中にいたずらめいた愛撫くらいならしたことはあるものの、一から十まで男性を喜ばせるなんてしたことがなかった。
けれど、多数の人間の視線に晒されたであろう身体に自分だけが触れられるのだと認識するという行為は悪いものではないのかも知れない。
目の前の男が他でもない自分だけのものだと実感できる、最も分かりやすい手段である。
「おー、全然問題ないってか、男としてはそっちの方が俄然いい」
これからいかがわしい行為をするとは思えない笑みを浮かべた彼がアーサーの腰に緩く手を回して、自由に動ける空間を用意してくれる。
一度深呼吸をして心を決めると、手始めに鎖骨に手を添えながら、ギルベルトの喉仏に唇を寄せた。