この儀式めいた仕草が忌々しい。
これから差し出さねばならないはずの腕は嫌に重たく、できることならば垂らしたままにしてしまいたかった。
ちゃんと食べているのか、とか眠れているのか、とか聞きたいことは山積している。
けれどその程度の問いかけなどするまでもないくらいにアルフレッドは憔悴していた。
本当ならこんな所で堅苦しい服なぞ着せずに、たっぷりのホットミルクを飲ませて眠るまで一緒にいてやりたい。
けれどそれは許されない。
英領アメリカ、そう朗々と読み上げられた言葉に肩が揺れそうになる。
願って、望んで、焦がれ続けていた言葉だ。
帰って来い。
何度その言葉を彼に吐いたかなんて、もう思い出せないくらいだ。
ただ、帰ってきてほしかっただけだった。
ただそれだけだったのだ、と今弁明したところで、アルフレッドは信じてくれるだろうか。
自嘲するように響かせた彼の言葉が鼓膜を震わせたように感じて、アーサーは身震いをするように頭を振った。
満足かい。そう、彼は言ったのだ。
勝手に飛び出した息子が失敗してどうしようもなくなって、恥も外聞もなく母親を頼ってる。
どうだろう、ようやく溜飲が降りたかな。
「アメリカ合衆国を」
どうしてあの時否定してやれなかったのだろうか。
そんなつもりではなかった。
きっかけやその結果などは全く考慮していなかったし、お前がそんな状況になることも望んではいなかった。
たった二言三言が口にできなかった。
その現実を前に、きっと打ちのめさせているのはアルフレッドの方だというのに。
「英国領に歓迎する」
お前の不幸が、こんなにも苦しい。
そのたった一言が伝えられない。
「――感謝します」
酷く落ち着いた声に精神がちりちりと痛みを訴える。
鼻先につんとする刺激を感じて、瞳が嫌に輝いていないか心配だった。
不安の残る視界で目の前にいるはずのアルフレッドを探す。
けれど、そこにいるのは独立の騒ぎの中ですら見たこともないような弱り切った瞳をした男であって、アーサーの知る彼ではない。
一瞬だけ絡み合った視線を男が引きちぎり、靴底からでも伝わるくらいみっちりとした毛足の絨毯に膝を突く。
何をしている。お前がそんなことをしなくていい。
そう言ってやりたい。
今一番、彼のためにならない言葉を吐いてしまいたい。
全てを台無しにしたかった。
きゅっと引き絞られた瞼の隙間から伺える瞳に息が詰まる。
アーサーの前に跪くなんて、数年前の彼にはきっとできるはずがなかった。
国を二分する争いがどれほどの影響を彼に与えたのだろう。
何も語らない彼を前にしては想像するしかなかったが、己の経験がおおよそのところを伝えてくるのが恨めしい。
持ち上げなければいけない右手が鉛のように重い。
この手が、アルフレッドを撃つことのできなかった手が彼を殺すのだ。
満足かい。
彼の唇だけが小さく動いた。
焦らして、晒し者にするのが満足なのかと、アルフレッドが問いかける。
子の挫折を願う親がどこにいるのか教えて欲しい。
そう、叫んでやりたかった。
あの瞬間、自分は確かにアルフレッドの自由を、成長を選んだのだ。
こんな未来を欲したはずがない。
口にする前にくしゃりと歪んでしまった相貌に、アルフレッドはほんの少しだけ視線を確かにした。
お願い。そんな目で見ないで。
今度は少しだけ声を乗せてアルフレッドが意思を伝える。
応えてやりたい。
応えてやれない。
代わりに自由の果てに選び取った選択に応えるため、ついには痛みを訴え出した右手を彼の前に差し出す。
その手を取るアルフレッドの動きに迷いはなかった。
長く離れた時間は彼に国としての自覚を与えたのだろう。
たとえ、どれだけ屈辱な境遇に置かれたとしても生き延びなければいけないという覚悟が彼からは伺えた。
己の国民をないがしろにできないという切実な衝動。
その精神が育まれていた事実だけが、幸いと言えるかもしれない。
そうでなければ、アルフレッドが再びアーサーの庇護下に入ることはできなかっただろう。
確かな痛みを伴って、手の平に唇が押し当てられる。
自由の国、アメリカ。
その口付けはすなわち彼にとっての敗北であり、死に等しく。