冷徹の証明



 ベッドの上でちょこんと座っているその人は不思議そうにこちらを見上げてくるだけで、何かしらの言葉を発する様子もなかった。
 不自然な空間に横たわる沈黙を打破したいのは山々なのだけれど、言語を司る場所は仕事をしてくれそうにない。
 唇一つ動かせずに、アメリカはイギリスのようにも見える人を見詰めていた。
 一見薄いように見せかけてふっくらした唇にくるんと上がった睫毛、かっちりしたスーツの胸元を押し上げるバランスのいい膨らみは確かに女性のもののはずだ。
 そして、ぱさぱさした金の髪は艶やかな赤茶に変わっていて、頭に二本鋭い物が付いている。
 極め付けにこうもりのような羽が背中から伸びていて、ええと、これは。

「こら、シーツ取りに来いって言っといただろ」

 どこか間の抜けた視線のやりとりをしていたら、ノックとほとんど同時に扉が開いて耳慣れた声が飛んできた。
 情けないながらも、不思議なこと担当の彼が来たことにほっとして肩の力が抜けてしまう。
 ふい、とベッドの人の視線が外れたのを合図に、アメリカはイギリスに向き直った。

「……君の仕業かい?」
「何が」
「いや、この人なんだけど」

 いまだイギリスは完全なる部外者の存在に気づいていないらしい。
 痒くもないのに頭を引っ掻いてしまった指を部屋の奥に向けて、少々無作法な方法で彼女までイギリスの視線を誘導させた。
 振り返った先には驚きに満ち満ちた瞳があって、もう少し瞼を開いたら虹彩が転げ落ちてしまうのではないだろうかと危ぶむくらいに大きな目をしているのに気がつく。
 イギリスの方を見るけれど、当然ながら彼の瞳は彼女ほど大きくなかった。

「――淫魔か」
「は?」
「ベッドにいる女の悪魔なんてそれ以外に考えられねえよ」
「いや、いやいやいや! そこかい!? あえて、君が、今、ここで! ここでだよ!? コメントすべきことってそれなのかい!?」

 アメリカが求めたのは彼女が何なのかでもなく、彼女がどうしてここにいるかだ。
 イギリスが応じるべき言葉は理由を知っているか否かになるはずなのに。
 スタッカートを利かせて彼に喚くと立派な眉を顰めただけでは飽き足らず、口までへの字に歪まされてしまった。

「俺もおかしいと思う」
「……だよねえ」

 けれど、イギリスが口を開く前に彼が淫魔と呼んだ人が助け舟を出してくれた。
 一番初めに交わす言葉に相応しいとは思えなかったが、一瞬の戸惑いの後に随分砕けた同意を返す。
 その素振りを好ましく感じたのか、彼女はほんの少し頬を緩める。

「まあ、でもこいつはなあんにも知らないには違いないからな。だから、俺が説明してやるよ」
「そうなのかい?」

 ハスキーの部類には入るのだろうが間違いなく女性の声なのにも関わらず、彼女はイギリスと類似した口調の持ち主のようだった。
 そろそろ目覚ましの一つでもなってくれないかと思いながら背後の彼に真偽を求めると、当然だという風に頷いて肯定される。

「ご指摘の通り俺は淫魔だ。で、お前の顔が俺の上司に似てるっていうんで、試しに一発やってこいって言われたってだけの話だよ」

 お分かりか、と尋ねられてもそもそも論に飛躍が見られて理解が付いていかない。

「何で俺の顔が上司と似てるからって、君とセックス、だよね? をしなくちゃいけないんだい?」

 返答し辛いのかむにゅ、と彼女の口元が動いて、視線がベッドに転がった。
 それから背後から溜め息と靴音が響いて、イギリスがベッドに膝を突くと彼女の鼻先に指先を置いた。

「多分上司とできてんだろ。淫魔は本気になると心底弱いっていうからな。ということは上司の監視つきで、一応干渉できる状態ってとこか?」

 人の悪い笑みを浮かべて指摘をされて、彼女が戸惑いを隠せないまま頷く。
 アメリカと似たような風貌をした上司が彼女の恋人で、自分と似た顔をした男相手に恋人が仕事をできるかを確認しているのだということか。
 確かに成功率が低いのであれば、その仕事は他の人に振り分けるべきだ。
 その際は明確な理由もあればなおよしだが、よくもまあ好きな相手を自分と似た男に差し出せられるものだ。
 それが悪魔の道徳概念だと言われたらそこまでだが。

「じゃあ、さっさとやっちまおうぜ」

 床に革靴が転がるかどうかのタイミングでイギリスがベッドのスプリングを撓ませ、抵抗する隙も与えず女性の背後を取って羽交い絞めにする。
 フランスの前ですらこんなにも悪人じみた動きはしないのではなかろうか。
 正に相手を人と思わない行動である、としか評しようがない。

「え」
「え、じゃねえよ。チェリーじゃあるまいし。ほら、俺と似たような顔してんのは引っかかるけど上玉には違いねえぜ」

 イギリスに背を押されて、押し出される形で胸が強調される。
 怯えの混じった表情とあいまって、ぞくりと悪寒のような感覚がアメリカの胸中にまで這い上がってきた。

「ちょ、ちょっと待て! さすがに俺も同じ顔相手する趣味はないからな!」
「うっせえな。淫魔だったらさっくりやられろよ」

 抵抗し出した彼女を面倒とばかりにはき捨てたイギリスがどこからともなく星の付いたステッキを取り出して、細い首筋にその頂点を突きつける。
 途端に彼女の肩がびくんと跳ねて、暴れようとしていた力が抜けてしまった。
 アメリカからすればあんな間抜けな物にそんな大層な力があるとは思えないのだが。

「さて、淫魔ちゃん、お名前を教えてもらおうか」
「……アリスだ」
「――真名だ。源氏名なんて何の役にも立ちやしねえ」
「っ、アーサー、アーサーだ!」

 沈黙を守ろうとした彼女に苛立ったのか、聞き覚えのない発音がイギリスの口から紡がれる。
 それを聴いた瞬間、彼女が弾けたように新しい名前を口走った。
 それが本物かどうかなど、彼女の口から漏れる絶望の吐息から分かろうというものだ。
 アメリカの曖昧な知識でも、悪魔が何の契約もなしに一方的に名前を握られることに問題があるのは知っている。
 それは完全な隷属を意味するのだ。
 それ程の力がイギリスにあるのを認めるには大分抵抗があるし、そもそも彼女が本当に悪魔なのかも受けれ難いのだが。

「アーサー、アーティーか。精々楽しもうぜ」

 アーサーと名乗った彼女よりも、彼女に絶望を与える言葉を放つイギリスの方が悪魔めいて見えて仕方がない。
 けれど、それよりも何よりも。

「ほら、アメリカ。お前が主役なんだ、来いよ」

 首筋を撫でながらアーサーの上着を脱がしていく指先に釘付けになり、唾を飲み込むのすら忘れている自分が誰よりも最低なのだろう、と思うしかなかった。