おことわり
方言パートはジェネレーターに助けていただいたので、当方正解が全く分かりません。
キャラ設定捏造以外に『国の感情は国民のムードに左右される』という設定を捏造しています。





とらえるひとのとらわれのみのうえ

 重苦しいような、身を引き裂くような感覚は常態化したが、かといって体が楽になるわけではない。
 ただひたすらに呼吸を重く浅くして、体を刺激しないくらいにしかできることなどない。屈辱かと問われれば正にそうだった。
 この地のことを碌すっぽに知らない者共に搾取され、体内を食い荒らされる現象を屈辱以外の何と呼べば良かっただろう。
 そのために、どれだけの国民が飢えに倒れたと思っているのか。
 荼毘に伏されることも叶わなかった者達に、月並みの言葉であるが合わせる顔を持ち合わせない。

 我が身に食い荒らす宗主国が憎らしくないといってしまえば嘘になるが、かといって彼がいなければ平穏無事な生活を送れていたかというとまた別の問題だ。
 彼が宗主国でなかったとしても、代わりの国がこの地に足を踏み入れていたに違いない。
 そう考えれば、彼の国のみを特別に嫌うのは道理でないように思えた。
 ただ、他国を食い物にして自らの栄華とするヨーロッパ諸国の風潮を恨むのは恐らく正しい。
 彼はヨーロッパのスタンダードを己を通して自分に向けてきているに過ぎないのだ。

 一方で、彼の支配が原因でそれなりに収穫があったのも確かだ。
 彼の国の教育を受けた自国民が今、大きなうねりを見せている。
 その現象についての感想を方々から尋ねられているが、希望となるかはたまた更なる絶望をもたらすかは国である自分にもまだ分からない。
 どうやら、宗主国は大層慌てて抑え込みを図っているようだが、さて一体どうなることやら。

 願わくは、事態が好転すればいいのだが。



     *     *     *



 切ってすぐの薔薇のせいか、どこか凛とした気配が部屋を支配していた。
 それに矛盾しないよう、一等級のダージリンが部屋に香りを重ねていく。
 強行軍を強いられたせいでどことなく気疲れした心身を慰める要素に、強張っていた肩が僅かばかりに緩む。
 この国の良いところは薔薇が美しく、また、紅茶を寵愛している点であろう。
 それだけでも自らの宗主国が彼であって良かったのかもしれないと思うくらいだ。
 繊細な陶磁のポットから紅茶を注いだメイドを小さな仕草で下がらせると、彼はそっと目を伏せてカップを傾けた。
 海風に晒されてぱさぱさになった髪は海峡を隔てた場所に位置する男のような輝きを持っているわけではないが、自国周辺では見られない珍しさである。
 彼らこそ、宝石と呼ばれるに相応しい色を持っているのではないかと思うけれど、自らの呼ばれ方を思えばどうしたって皮肉に聞こえてしまいそうなので伝えられないままだ。


「……ああ、やっぱりお前の紅茶は素晴らしいな。ここ数年でも一番の出来じゃないか?」
「それは光栄です」


 習って紅茶を口に含めば、なるほど彼の評価は決して誇大表現ではないようである。
 自分で土産にしてきてこの感想というのも何だが、たまたま飲んでいなかったからこそ持参しようと思い立てたのだから致し方ない。
 広がる茶の味に気持ちが解れるのを感じる一方で、理性的な部分が警戒を喚起しようとするのが分かった。
 今回の面会がそう穏やかなもので済むとは思えない。
 いつか釘を刺されるのであれば、自ら誘発したとしても問題はあるまい。
 むしろ、触れずにいたために臆病風に吹かれ、事を荒立てないようにしていると思われる方がずっと問題があるだろう。
 一度緩めたカップの角度を深め、唇を湿らせてから意識的に息を吸い込んだ。


「しかし驚きました。あなたがこんなにも早く反応するとは思いませんでしたから」
「何のことだ?」


 何、とは随分な物言いだ。
 インド帝国の上層部がきな臭い行動を取っているのが彼、即ち大英帝国の耳に入っていないはずがない。
 だからこそ彼が直々に、定期的に行われている面会を前倒しにするなどという面倒を強いてきているのだろう。
 一種のペナルティに他ならない。
 それなのに、彼の口調は心底不思議がっているように取れてしまうもので、日頃の二枚舌を思い出させた。
 彼の心中はぐらぐらと苛立ちを煮え立たせているに違いないのに。


「いえ、こちらの者が少々粗相をしてしまいまして、誠に申し訳ございません。時期尚早であったと思っております」


 あくまでも君主に温情を掛けられて、恐縮する家臣のごとく振舞うことを心がける。
 しかし一方で、ちくりと刺すのは忘れない。
 彼らの行動に対しての自らの評価そのままのそれを口にして、ぴんと伸びた背筋のまま再び紅茶に口をつける彼を見守った。
 薄っすらと開かれた瞳は酷く穏やかなもので、微かな異常さが臓腑を少し冷たくさせる。


「お前は俺の宝石だろう」


 視線は透明感のある紅色に染まる紅茶に落としながら、彼は独り言のように口にした。
 いつか彼の国王が述べた言葉を借り、大英帝国はインドを縛りつけようとする。
 自国民の息苦しさが渦巻いている体には随分酷な発言だった。
 歴史を鑑みさえすれば、この苦しみを彼が知らないはずはない。己の兄達に踏みつけにされた日々を忘れてしまったのか、もしかしたらこれが復讐の形でもあるのかもしれない。
 支配と従属の形は彼にとっては至極日常的なできごとだったはずである。


「宝石が独りでに動くなんて聞いたこともない」


 今なら宝石達の悲しみが手に取るように分かる。
 居心地のいい場所から引きずり出され、他者から定められた美しさの基準を満たすためにその身を削り取られるのだ。
 そうして与えられる場所はただただ硬質な台座ばかり。


「あんたは考え違いばしとるとよ。うちが煌びやかに見えるなら、それは玉虫の背の輝きに違いなか」


 心ある者が、いや、意思を発せられるものがどうしてそのような仕打ちに堪えられようか。
 制御していた言葉遣いも忘れ、口早に彼に告げる。
 かっと沸き立つ感情のままに彼を罵っても良かったのだが、ごっそりと表情を失った彼を前に一度口を閉じた。
 常に顔色を伺われ、礼儀を守った嫌味で終わらせてくれるとでも思っていたのか、と開かれる双眸を見詰めながら唾棄する。


「……俺はお前を手放さない。虫だろうが何だろうが縛り付けてでも、手の内に置く。それだけは絶対に変わらねえ」


 丁寧にテーブルに置かれるカップの音と同じくらいの硬質な声音に背筋が緊張した。
 実質的に彼から抑圧されてきたわけではないはずなのに、国そのものの関係が体に染み付いている事実が心底情けなかった。
 無理やり口内の唾を飲み込んで自らを鼓舞する。
 ここで、はいそうですかと済ませてしまっては、独立を望む国民の心を踏みつけにしてしまう気がした。
 その気持ちすら国民達の思いに当てられてしまっているだけなのかもしれないが、否定したい感情ではない。
 我らは自らでインドの全てを左右しなければならないはずなのだ。


「縛り付けるにはそん人の力が必要やろうとよ。インドの力がなければ成り立てなかあんたが、どうしてそぎゃんことができるやろうとよ。元より、アメリカば手放したあんたに分からなかことではなかはずばい」


 新大陸を手放したからこそ、インドを失った際の痛手を彼は具体的に理解している。
 それ故に、大英帝国はインドの手綱を緩めようとは決してしない。
 パワーバランスを崩してしまえば最後、相手が牙を剥き離れていってしまうことを知っているのだ。

 静かに椅子を引き立ち上がってこちらに寄ってくるから、多少の暴力は覚悟していた。
 しかし、感情の起伏に合わせぎらぎらと光る瞳を見た瞬間に、視界がひっくり返るとは思ってもみなかった。
 年代物の椅子が派手な音と共に脇に倒れたのが先か、咄嗟に取った受身で背中に衝撃が走ったのが先だったか。
 とにかく、椅子から転げ落とされたのだけは分かる。
 痛む体を叱咤して起き上がろうとする前に大英帝国が阻むように脇腹の横に膝を突き、インドを跨いで襟首を引っ張った。
 襟を引く力が強すぎて、うなじがぎちぎちと擦れる。
 摩擦の痛みと熱を感じながら、この力が首を絞めるために使われていなかったことに安堵する。


「俺はお前を手放さない! 絶対に、絶対にだ!」


 至近距離で叫ばれて、青年と呼ぶには抵抗のあるいまだ少年めいた相貌には似合わない気迫にたじろぐしかなかった。
 これが戦歴の勇そのものの容姿であったのならば、心一つ揺るがなかったと断言できる。
 病的な執着心を剥き出しにする少年の姿など、できることなら一生見ないで済めばよかったと思う。


「お前は、おれのものだ」


 告白めいた音を発するその声はどこか縋るような響きを帯びている。
 力ばかりに溢れて覚束ない語調に精神が落ち着いてきて初めて、襟を握り続ける手が震えているのに気がついた。
 なんということだ。
 彼はずっと彼自身の意見として、インドという存在を縛りつけようとしていたのだ。
 それも、国としてではなく一個の人間として。

 哀れだった。
 ひたりと頬に手を触れれば、その感触はどこまでも冷たい。
 随分前に、大英帝国から独立したアメリカは彼の弟分だったと聞いた。
 国家同士の関係だけではなく極々個人的にもそうだったらしい。
 果して、その弟分への執着は彼のものだったろうか。
 大なり小なり国という存在は国民の気持ちに考えを左右される。
 祭りに沸き立つ時期などは訳もなく気持ちが浮かれているし、個人的にいいことがあっても国全体の気持ちが沈んでいるならその喜びを上手く見つけられなくなってしまう。
 彼がアメリカを愛する気持ちもまた、国民に望まれたことではなかったのだろうか。
 全てがそうとは断言はできないが、愛するように仕向けられた節があると彼は気づいているのだろうか。

 それでも彼は新大陸を失った痛みを抱え続け、そこから一歩も足を進められずにいるのだ。
 イギリスという国を背負った自我を持つ彼を苛む痛みとそれを引き起こすほどの愛情は本物に違いなかった。
 初めこそ仕向けられたものだったとしても、もはや彼の駆り立てるものが偽りであるとは誰も言うまい


「……そうですね。私はあなたのものです」


 だからこそ、触れた瞬間に緩んだ頬があまりに哀れで。


「あなたが望めばいつまでも」


 望んだ言葉を与えられ、満たされたように細められた瞳があまりにも悲しい。

 彼の極端な言動の一員として、国民からの要請もあるのだろう。
 その湧き上がる衝動を全て己のものと思うが故に、コントロールを失ってしまっているに違いない。
 どんな衝動であったとしても自らが原因でないと気づけば、ある程度冷静になれるものだ。
 多少攻撃的にはなるものの、なりふり構わない行動に出てしまうことなどない。
 この一種の処世術を知らないままに、良く今まで生きてきたものだと思う。

 尊大である一方で口が上手く、そして何より小憎たらしく見えた少年は今、失うことを過剰に怖れた幼い子供でしかなかった。
 一体彼がどんな生を歩んできたかなど知る由もないが、そう他人が羨むようなものではなかったのだろうと推測するのは簡単だった。
 彼は人と寄り添う幸せをあまりにも得てこなかったのだ。
 だから、現在どうにか持っている関係性を少しでも損なうのが恐ろしく、夢中で留めようとしてしまう。
 いつか失ったものを取り戻さんがごとく。

 もしそうやって手の中に納められたとしても、それがもはや以前とは異なる形状をしていることに彼は気づいているのだろうか。
 自らの内のものを全て己のものと考えるある種の純真さを持つ人だから、気づかない方がきっと幸せなのだろうが。


「なら、あんなこと言うなよ」


 かかか、と赤くなった頬を隠しながら、大英帝国が乱暴な動作で立ち上がった。
 国としての心のコントロールを知らない姿はどこか歪で、だからこその美しさを感じずにはいられない。
 もう長く生きているはずの彼は果たしてこれからどのような変化をし得るのだろうか。

 彼の可能性を傍で見てみたかった。
 破滅を迎えるか、それとも心を治める術を手に入れられるのか。
 もしかしたら、ずっとこのままなのかもしれない。
 このような思いを抱かせるのはきっとヨーロッパ中探しても彼しかいないだろう。


「それでも私はあなたのものです」


 そう言うと彼は不思議そうに目を眇めて、少し愉快になって笑みが零れてしまう。
 これこそ極々個人的な感情というものだろう。
 不思議な高揚感が身を支配して、途端に気持ちが軽くなった。
 今必要以上に大英帝国に肩入れすることなど、国民は決して望んでいないだろう。
 たとえ国民の意思に背くように見えたとしても、この自我に肩入れをしたかった。

 大英帝国からインドが自由になる日が来るとしたら、すぐにでも彼の元に出向いてみようか。
 そのときは普段自分が使う言葉遣いで、何度だって伝えてやろう。
 私はあなたの友であると。

 その日が、失うことを恐れる彼を絶望から救い上げる日になればいい。