明かりを灯して



 ははは、と嗚咽の代わりにやけに軽い笑いが零れた。
 さっきまで公共の船室で存分に泣き暮らしていたので構いはしないが、我が国は愛し子の喪失の痛手に堪えかねて気を違えてしまったのかと国民が聞いたら絶望したかもしれない。
 けれど、幸い戸の向こうに響いてしまうような声量ではなかったので、見張りが慌てて飛び込んでくるようなことはなかった。

 恐らく彼らが最も怖れているのは、祖国の自害ではないかと踏んでいる。
 どうか一人にさせてくれ、とせがんでも中々了解を得られなかったところからして少なくとも監視したくて堪らないようだった。
 今も、室内の様子を探ろうとしているのが何となく分かる。

 馬鹿だなあ、俺はお前達を愛しているのに。
 国というものは国民のために生きていると言っても過言ではない。
 初めは義務だったかもしれないが、いつしか祖国と慕ってくれる人々に途方もない愛情を返していた。
 彼らが生きるためにアメリカを、アルフレッドを踏みつけるというのなら、その旗印になるのを厭うつもりなど毛頭なかったのだ。
 それでもこの度、アメリカの独立を許してしまったのは、純然たる国民感情や戦場の状況からだけではなかったのかもしれない。


「――愛してる」


 そう、愛していた。
 新大陸の夢として生まれ、イギリスというよりはアーサー・カークランド個人の愛情を一身に受け急速に成長した。
 常軌を逸したその成長が正直恐ろしくもあったことは否定しない。
 けれど、怖気を感じるほどだったのはアルフレッド自身に対してではなかった。
 いつか会った彼は既に子供の領域を越してしまっていた。
 けれど青年と呼ぶわけにもいかない未成熟の少年は、酷くあやふやな特性を抱えていたのを覚えている。
 その揺らぎを少年の美しさと捉える者もいるし、単なる弱さとして唾棄する者もいる。
 そうして自分は愚かしくも彼の揺らぎに男性を感じてしまったのだ。

 信じられなかった。
 僅かに節くれ立ち始めた指先に、幾分か掠れて低くなった声音に成長の喜びではなく男女間の喜びを感じてしまうなど、信じるわけにはいかなかった。
 外面上の庇護者としてだけではなく、実質息子のように歳の離れた弟のように思ってきたのだ。
 けれど、彼の一挙一動に震える心をどうすれば良かっただろう。
 口にできるはずがなかった。
 母として姉として男である彼を愛することなどできないばかりか、許されるはずもない。
 好色である自覚はあったが、これほど浅ましい精神を抱えているなど思ってもみなかったのだ。

 だからこそ、より高い視点を持とうとする彼を全力で押さえ付けた。
 子供として扱って、少しでも周囲と自分にとってアルフレッドがどういう存在か知らしめようとしたのだ。
 酷く子供めいた反発に自分でもどうかとは思ったが、驚くほどに精神が凪いだ。
 彼の中の男性が影を潜める度に延命を受けた心地になり、反対に自律の気配に怯えた。
 当然のように訪れる些細な触れ合いに、果たしてこれは普通の家族の交流に相応しいのかと考えずにはいられなかった。

 苦しかった。ずっと苦しかった。
 この思いはお前に気づかれてはいなかっただろうか。
 腹立たしい母親であり続けられていただろうか。
 束縛から解き放たれて、清々しているのならこれ以上嬉しいことはない。
 千切れた縁は最早己の中にある良心を痛めつけることはきっとない。
 少なくとも今はそう信じたいし、信じるしかないのだ。


「あいしてる。愛してるんだ、アルフレッド」


 お前が一人で歩いて行くことを決めたこと、それは絶望に値する。
 後何年空虚を抱えなければならないなんて想像することもできない。
 けれど、永劫に続くような夜を越えて行けるのは喪失の先にこの気持ちのありかを見つけたからなんだ。
 真っ暗闇にぽかりと浮かぶいまだ背徳の色を帯びる明かりが、これからただのアーサー・カークランドが歩みべき道を照らし出してくれる。
 愛とは、恋とは、きっとそういうものだから。

 だからどうかお前も許してほしい。
 たとえお前が俺を恨んでも、俺がお前を思い続けることを許してほしい。

 そうして届くはずもない願いと共に、アーサーは縋るように塩の気配のするシーツに顔を埋めた。