硬い液体



 頭の上が騒がしい、といった感じだろうか。
 シモン達と和解してしまって地上に戻ってきてからずっとそんな具合だった。
 爪弾きにされているとかいうわけではないし、自分だけがそうなのでもないのが救いなのだろうが。
 一応、話し合いや雑用はあるし、雑用に至っては山ほどあるといってもいいくらいのだが、核心の部分には知識面でも技術面でも手を出せない。
 しかたないとは思いつつも、歯痒さは拭えなかった。


 空いた時間を持て余しながらぶらぶら歩いていると窓越しに広がる荒野が見えた。
 今となっては無くしがたい場所に続く荒野を見詰めて、ヴィラルは首に巻いた赤い布に触れた。
 貧しく、生きていくだけで精一杯だった、小さな優しい世界。
 シモンに一言言ってから、一度帰るのもいいかもしれない。
 そう考えた瞬間軽く後ろに引かれて、反射的に名を呼びそうになって慌てて口を噤んだ。


 そうだ、こんな場所にいるはずがないのだ。


「ガキか貴様」


「なんでそうなるのよ」


 思ったよりも物思いに沈んでいたらしく、ヨーコが近くまできていたのに気がつかなかった。
 それは落ち度かもしれないが、挨拶もなしに服を引っ張るのは問題がある。


「まずは声ぐらいかけろと言ってるんだ」


 ヴィラルが言うと、ヨーコがあ、と小さく漏らした。
 妙な作意がなかっただけよかったと思うべきか、配慮が足りないと思うべきかなんとなく迷う。


「ごめん、ちょっと気になることがあって」


「気になること?」


 少し擦れてしまった布を微調節しながら聞き返すと、ガラス張りの壁にもたれたヨーコが頷いた。
 これだけ高所に張ってあるのだから強化ガラスではあるのだろうが、ガラスはそもそももたれる物ではないので危ないのではないだろうか。


「それ、邪魔じゃない?」


 巻き直した布に軽く指を乗せてヨーコが小首を傾げた。


「外だったら砂避けにもなるけど、ここじゃ意味ないじゃない。……もしかして寒がり?」


 指はすぐに離れていって、今度はヨーコの顎に触れた。
 ヴィラルはヨーコの最大限に露出している服をさっと見て、なんとなく後悔した。


「お前よりかはな」


 視線を荒野に逸らすと、んー、と真剣に迷うような声が聞こえてくる。
 恐らく何人もの人に服装については注意されてきているのだろう。
 そして、改めてこなかった。


「動きやすいんだけどなあ」


「多分それ気のせいだぞ」


 余程の装飾や伸縮性のない物ならともかく、普通の服で動きが妨げられるようなことはそうない。
 それでもヨーコが生返事を返してくるので、ヴィラルは思わず溜息を吐いた。
 一度ぐらい真面な格好をしてみればいいのに。


「で、それ外さないの?」


 服装についてぐちぐち言われるのが嫌だったのか、ヨーコが話題を戻してきた。


「貰い物だからな、そういう気になれないだけだ」


 赤いそれに触れて言うと、ヨーコが反動をつけて窓から離れた。
 きしり、とガラスが鳴った気がしたのだが、ヨーコに突然近寄られ、注意の言葉を飲み込んで一歩後じさる。


「そんな顔もできるのね」


「は?」


 言葉の内容は理解できるものの、自分がどんな顔をしていたのかヴィラルには分からなかった。
 ヨーコはそんなヴィラルに笑みを零してから、彼の横を擦り抜けざまに誰に貰ったんだか、と喉を震わせずに囁く。


「あ、おい」


 ヴィラルに声をかけられ、廊下を進み始めていたヨーコが足を止めて振り向いた。


「ガラスにはもたれるな。傷があったらいつ割れてもおかしくないからな」


 ガラスの性質をよく知らないのか、ヨーコはきょとんとしていた。
 そのヨーコの横まで近づくと一旦足を止める。


「そういう物なの?」


「そうだ。だから気をつけろ」


 言い切ってヴィラルが歩き始めると、ヨーコも当然のように付いてきた。
 歩調を緩めてやって、ヨーコと並ぶ。
 ふっと彼女がヴィラルを見上げたので、ヴィラルもつられてヨーコを見下ろした。


「ありがとね」


 注意に対してなのか歩調を緩めたことに対してなのか、はたまたどちらに対して言っているのか分からない。


「……ああ」


 視線を外して感謝を受けると、ヴィラルはやけに急ぎたがる足をゆっくりと床に下ろした。