いい加減眠くてしかたがなかった。多少睡眠時間が削れたところで問題はないが、それが何日も続いてはいけない。
体にも支障が出るのはもちろん、精神的にも参ってくる。
しかし、精神面においては今更な感はないというと大嘘になるのだが。
けれど、まだ眠ることはできない。
あの方がお休みになっていないのに、自分だけがのうのうと眠ることなどヴィラルにはできなかった。
「アディーネ様、まだお休みになられないのですか」
薄暗い部屋でアディーネは資料を眺めていた。
ディスプレイ自体が発光しているので部屋が暗かろうがなんだろうが見えないということはないが、目に負担がかかるのではないかと電灯を付ける。
アディーネはヴィラルが部屋に入ってきても明かりが灯っても画面に視線をやっている。
「アディーネ様」
アディーネの側に近寄ると、彼女が特に資料を見ているというわけではないのだと分かる。
彼女はただ一点だけを見詰めて、思考に沈んでいた。
恐らくは、自らの同胞を亡き者にした人間共や、その人のそのものを思っているのだろう。
「どうかお休みに――ッ!」
突然横腹に鈍痛が走り、言葉が続けられなくなった。
視線はそのままにアディーネが尾での打撃を放ったらしい。
痛みから崩れてしまった姿勢を正し、ゆっくりと息を吸うと殴られた位置が痛む。
「どうかお休みになって下さい」
「世話係を雇った覚えなんてないんだけどね」
無感動な声色でアディーネが独り言のように呟く。
視線はまだヴィラルには向いておらず、思わず奥歯に力を込めた。
「あたしが子供か何かに見えてるって言うのかい?」
「いいえ。しかし、このままではお体に障ります!」
ヴィラルが言うや否やアディーネは立ち上がり、尾を振り上げる。
来るであろう衝撃と痛みを真っ向から受けるべく、ヴィラルは全身に力を込めた。
「――っぐ、うっ、あ、アディーネさま」
どうしても上がってしまう悲鳴を押さえながらも、言葉を絞り出すのは酷く困難だった。
そしてどうしようもなく泣きたくなる。
痛みのせいではなく、どうしようもなく悲しくて。
「なんだい?」
苛立ちを隠そうともしない声と共に、ほんの少し殴打の間隔が長くなる。
続ければこの痛みがより酷くなるのが分かっていてヴィラルは口を開いた。
「チミルフ様のためにもお休みになって下さいアディーネ様!」
頭を下げて一息で言い切り歯を食いしばったが、痛みも何も起らなかった。
不審に思って顔を上げると、アディーネが息を詰めたような表情でそこにいた。
「……アディーネ様?」
声に気付いたのか、アディーネは跳ねるように尾を振るわせた。
暗い赤が宙を斬る音がした瞬間、一際激しい衝撃が襲った。
「おまえに何が分かるって言うんだい!」
「――申し訳ありません」
三半規管にダメージがきたのかぐらりと体が揺れるのを必死に耐える。
ああでも、もしかしたら脳にきたのかもしれない。
何を続けて許しを乞えば良いのか、そもそも許しなど乞うべきではないのかも判断できない。
何も言えずにいやに重く感じる頭を再び下げると、頭上で鋭い舌打ちが響いた。
「さっさと出て行きな。朝に遅れたりしたら承知しないよ」
鼻っ面に尾が切った風を感じてアディーネを見ると、彼女は既に背を向けていた。
アディーネの苛立ちを表すようにヒールが甲高く鳴り響き、寝室の方に遠ざかるのをヴィラルはただ聞いていた。
扉が開いて閉じる音を聞いてヴィラルはようやく頭を上げた。
「……お休みなさいませ、アディーネ様」
どうか夢も見ないほど深く眠れるように、と願いを込めて。