正義の味方が負けた日



 もうおしまいだ。



「未来ちゃん」


「何ですか、それは」


 問うと、鳴海が至極楽しそうに笑う。


「で、その鬼みたいなのは未来から来たとか言ってたわけか」


 鳴海が吹かしていた煙草の火を磨り潰して、小さく唸った。
 伽耶の内にいた者は自らをライドウと名乗っていたので、ライドウと呼ぶのが正当なのだろう。
 けれど、今現在ライドウはここにいるので、そう呼んでしまうといささか不自然が生じる。
 なので二人で鬼みたいな者とか、憑き物とか呼んでいる。


「はい。歴史が管理されている、と」


 伽耶に憑依していた者の言葉を思い出すと、同時に鋭い表情が網膜に浮かんだ。
 魂が変われば雰囲気などすぐに変わってしまうと雷堂にあったときに知ったはずだった。
 それでも、あれ程豹変できるものなのかと疑問に思わずにはいられない。


 一体未来では何が行われているのだろうか。


「うさん臭い日本語の――ええとラスプーチンか」


 何とはなしに、殴りつけた後頭部を思い出した。
 彼もあの事件以降姿を見ないが、ただ自分が深川に行っていないからだけかもしれない。


「……とは言っても、ホントにあいつもそう呼んでいいのか分かんないけど」


 ラスプーチン自身実在した人物かも分からない。
 未来の人間達がラスプーチンが死んだのをいいことに、オートマンを送り込んだのかもしないし、そもそもラスプーチン自体が捏造だったとも考えられる。
 ともかく、現在に実在するはずのない技術で動いているからには、ラスプーチンというオートマンはここではないどこからか来たのは確かなのだろう。


「ラスプーチンは歴史を直しに来たというようなことを言っていたはずです」


 うん、と鳴海が頷いて髪を弄る。


「鬼が言ってるだけなら、狂言だって思っていいんだろうけどね。どうも対立する立場の二人が言ってるのが気になる」


「共謀して自分達を惑わす利点もありません」


 鬼だけならばまだしも、ラスプーチン側は利点以前の問題に思えた。


 管理者が進んで知られたいと思うはずがない。


「二人の話を鵜呑みしちゃうと、何とも気分がよくないねえ」


 軽い口調で言うと、鳴海が再び葉巻に手を伸ばす。
 片手でマッチを擦ると、銜えた葉巻の先端を左手で覆って火を灯した。


 鳴海は一息深く吸い込むと、煙を吐き出す葉巻を脇にやった。
 不審な動きに疑問を覚える前に、目の前に紫煙が広がる。


 普段から事務所内はやに臭いとはいえ、直に煙を吸い込むのは初めてだった。
 焚火や埃とは違う刺激に思わず咳き込んで、子供じみた行為をした張本人を睨む。
 当の鳴海はすでに紫煙を飲んでいた。


「何がしたいのですか」


 鼻先に残る匂いを意識しながら問うと、鳴海が煙草で円を描く。


「こんな風にさ、人に嫌がらせするくらいの個人的な未来なら矯正されないんだろうね」


「そうだと思います」


 一人一人まで弄っていては途方のない労力が強いられるだろう。
 それよりは、大きな流れをねじ曲げる方がましなのかもしれない。


「でも、国会の決定は奴らの介入があるかもしれないわけか」


 頷くと、鳴海が不服そうに息を漏らす。


「そりゃあ、腹も立つわな」


 彼の暴挙は同情に値する、と自分でも思う。
 彼の怒りは正当だとも思う。


 その、彼の行為を自分は知らぬとはいえ、無に帰してしまった。


「あれが、最善だったのでしょうか」


「ライドウ?」


「自分は話し合いもせず、ただ力ずくで叩き返すことしかできませんでした」


 話し合わなかったから、全てを想像に任すことしかできない。
 この先の世界に何が悪影響を及ぼすのか、想像もつかない。
 自分がどんな罪を犯したのかすらも分からないのだ。


「同じ望みを抱いていたのかも知れなかったのに」