眠れ愛し子



「ああ、起こしちゃったか」


 肩に乗った柔らかな感触に、落ちていたらしい瞼が持ち上がった。
 妙な夢を見ていたからか、意識が覚醒したという感覚はない。
 あの何度か見た、シナドの面を被った自分が出てくる夢のようなものの焼き回し。


「すみません、ちゃんと布団で寝るつもりだったのですが」


 二人用のソファでこうも良く眠りこけられたものだと、我ながら呆れてしまう。
 ほんの少しだけ、と座り込んだのが悪かったらしい。
 いつもなら寝室で寝ることを促してくれる鳴海が席を外していたのも運が悪かった。


「疲れて当然なんだから、時間を作っても休んどかなきゃな」


 奇跡的にも脱げていなかった学帽の上から鳴海に頭を撫でられて、鼻の奥に甘い感覚が蟠った。
 堪え切れずに小さく欠伸をすると、鳴海がしょうがないというふうに笑う。


「ほらほら、さっさと着替えて寝ちゃえよ」


 鳴海の提案に素直に頷きたくはあるのだけれど、今寝てしまえばまたあの夢を見るのではないかと躊躇ってしまった。
 多分、彼なら気付かないふりをしてくれるだろう。


「鳴海さん」


 けれど、吐き出してしまいたかったのだ。




「――つまり、デビルサマナーとしてどうあるべきか分からないってことか」


 ソファの横に座っている鳴海が背を軽く丸め、拳を口元に当てた。


「確かにさ、ライドウの言う通り、デビルサマナーの仕事は秩序を守ることだと俺も思うよ」


「秩序と平和は同時に成立できますが、不可欠ではありません。秩序のみでは平和は保てない」


 今回の事件で痛い程に分かった。
 自分がデビルサマナーである自分に何を求め、何を理想にしようとしているのか。


「自分は現状の維持と、打破を望んでいるのです」


 ゲイリンの姿をした者に言われた話は、納得のいくものだった。
 少数の犠牲で膨大な利益を得ることを彼らは長く続けてきた。
 それは間違いなく、彼らの中にある秩序なのだ。


「そりゃあ、ちょっと困っちゃうよな」


 分かるけど、と鳴海が軽くこちらの肩を叩いた。
 分かるというたった一言に馬鹿みたいに安心して、溜まっていたらしい息を吐き出す。


「前の事件のとき、自分がしたことは現実に抗うことでした」


「んー、それは違わないか? あれはさ、抗わないと状況が悪くなる一方だっただろ」


 そうかもしれない、と思いたい。
 ずっと、そう思いたいと思っていた。
 自らを四十代目だと名乗った彼の人から断片的に聞き取った話を総合すると、今を犠牲にして未来を生かすようにもとれる言い回しをしている嫌いがあったのだ。
 自分はそれを現代のために叩き潰した。


「どちらにせよ、自分には今が一番大切なのです。現状が最善であってほしいと、そう思っています」


 自分が望んでいたのは秩序ではなかったのかもしれないし、ましてや未来のそれではない。
 なんて主観に満ちた考えなのだろうと思うし、デビルサマナーとして許されることなのかも分からない。


「けれど、今は何が最善なのかすら分からないのです」


 現状を受け入れるべきなのか、それ以上の最善を追うべきなのか。
 そもそも、今以上の最善などがあるのかすら分からないというのに。


「ライドウ」


 穏やかな呼び声に、テーブルの木目を射貫いていた視線を移す。


「うまく言えないけどさ、守るってきっとそういうことだよな。例えば母親が子供を守るときに、現状維持ってことはないもんな。子供が少しでもましな状況になれるように絶対助けると思うんだ」


「では、自分は母親なのですか?」


 母親というよりも、母性に近いものを抱いていると鳴海は言いたいのだろう。
 確かに頷けるところがある。


「そ、ライドウは帝都のお母さん」


 生まれてこの方予想だにしないことだらけの人生だったが、まさかお母さんと呼ばれるとは思いもしなかった。
 にこにこと言われてしまった手前、どうも怒る気にもなれない。
 というより普通なら勘に触りそうなものなのだが、不思議と苛立ちは感じられなかった。


「……それは、手のかかる子供ですね」


 そこらの子供より随分手がかかりそうだと溜め息を吐くと、どこも同じようなものだよと鳴海が笑みを深めた。
 自分が禄に知らない母親というものを鳴海はきっと知っているのだろう。
 それでも自分が帝都の母親だと鳴海が言うのなら、彼もまた帝都の人間であるからして自分の子供とも取れるのだ。

 ああ、それなら本当に手のかかる子供に違いないとなど思っている内に、色々とごまかされてしまったのではないかと気が付いたのはしっかりと仮眠を取ってからだった。