「人修羅、どこいくの?」
ふわりと肩に舞い降りたピクシーの気配に、ほんの少し意識が緩む。
古き友という言葉が心臓に響いた。
ボルテクスを受胎をより知ろうとするがために、カルパを探り続けた。
だんだんと感覚が麻痺する中での彼女との再会は自分が本当の東京にいた頃を思い起こさせるのに十分だった。
「アサクサのミフナシロだよ」
今は悪魔しかいなくて、近い内にまた廃墟と化してしまうだろうあの街へ。
きっと勇や聖よりもターミナルの使い方は下手なのだろうが、瞬時に移動できるだけで十分だ。
それ以上の力はいらない。
部屋中がちかちかと瞬いて、目を細めている内に空間が歪む。
力の奔流に飲み込まれる間隔に、細めていた目を完全に閉じた。
感覚が元に戻ってから目を開けると、代わり映えのしない光景が目の前にあった。
けれど、気配で分かる。
扉の向こう側から感じるのは、紛れもないミフナシロにはびこる悪魔のそれだった。
「行こうか」
うん、と応じて、ピクシーが自分から離れた。
安心する質量が消えた後には穏やかな温もりが残っている。
大丈夫、すぐに何もかもが消えてなくなるわけではない。
まだ、血の跡が消えずに残っていた。
血が赤いということがマネカタが土から生まれてきたとは、にわかには信じられない理由の一つ。
血の匂いはもはやしないし、その人も横たわってはいないけれど。
「多分あのとき」
そっと石の上の血の跡に触れる。
冷たい石の感触を意識して感じるのは、一体どれくらい振りだろう。
「あのとき、フトミミさんは俺を利用しようとしたんだと思う」
君は他の悪魔とは違うだろう、と千晶を尻目にフトミミは訴えてきた。
違う、という言葉が遠くからぼんやりと聞こえたような気がしていた。
確かに千晶の虐殺を止めたいと思った。
けれど、自分と他の悪魔が違うというのが分からなかった。
仲魔と自分との間に隔たりがあるだなんて、その頃は全く考えなくなっていたのだ。
ああ、それでも。
「利用するならもっと早く頼ってれば良かったのに。訳分かんない」
血の跡がない所を選んで、ピクシーが着地する。
悪魔は率直な物言いをすることが多く、彼女もまたフトミミの行動を切って捨てて見せた。
常々千晶もこんな歯に物着せぬ物言いをして、勇に苦笑させていた覚えがある。
両者の個性に人も悪魔もないように思えるのだ。
「きっと、マネカタだけで創世したかったんだろうね」
悪魔に利用され続けて、どれだけの同胞が絶望の中で死んでいったか、恐らく彼は知っている。
そうして初めて出会ったそのときに、凜とした姿の奥底に苦痛を抱えていたのだ。
だからこそ悪魔なんかに頼れないし、きっと頼りたくもなかった。
「マネカタだけの世界を作りたかったんだ」
自分の種族しかいないせかい。
氷川も勇も千晶も、裕子先生でさえ人しか、人間しか視野に入れていない。
フトミミ同じで、マネカタだけの世界で平等を望んでいたのではないだろうか。
そこに自分の姿はきっとなかった。
「それでも、フトミミさんになら利用されても良いと思った」
「どうして?」
ピクシーと同じように、濁った染みのない所に腰を下ろす。
首を上げてこちらを窺ってくるピクシーに視線を合わせると、自分でも力無いと思うくらいの笑みが零れた。
「悲しいひとだった、から」
彼はどこまでを見渡す力を持っていたのだろう。
彼は彼の最期を予期したのだろうか。
それとももっと先を、彼が作る世界を見ていたのだろうか。
一つの下の平等など、長続きするはずもない不安定なものなのに。
彼は破滅を見ることができなかったのだろうか。
いや、きっとそうではなくて。
「自分のコトワリの行詰まりも自分の最期を知っているのに、止めることができなかった。諦められなかったひとだった」
「人って、フトミミって人間なの?」
マネカタって創世できないんじゃなかったっけ、とピクシーが首を傾ける。
論点がずれているような気がするが、悪魔からすれば姿や生まれ辺りで種族の区別は明確な物であるのが普通なのだ。
けれど、これはそういう問題だとは思えない。
「うん、人間だよ。ひとだった」
そう、足掻くことしかできない悲しいひとだった。
「……知っていますか、フトミミさん」
もしかしたらフトミミの残留かもしれない血をなぞって、微かな声で語りかけた。
肩に残っていた温もりのように、あなたの気配もまだ確かに残っている。
「人も泥とかから生まれたらしいですよ」