では、自分達がその担い手となりましょう。
アラディアは希望しか与えられない存在なのだ、と伝えたところそんな返答が返ってきた。
神におんぶ抱っこされていては、人は人として生きていけないのだとライドウは言う。
神を信じても構わないけれど、神を頼り過ぎてはならない、と真っ黒な悪魔召喚師は続けた。
自分は人修羅になってから、とても大切なことを忘れていたのかもしれない。
力を得ても結局は何もできない身に失望して、いつしか自ら動くことをしなくなっていたように思える。
本当は何かできたのではないか。
もっとみっともないくらいに縋り付いて、彼らに働きかけられたのではないか。
そうすれば、何かが変わったかもしれない。
ライドウのひたむきな姿を見る度に、過去の自分を叱咤した。
こんな世界で、コトワリを得られているのかも分からないような状況で、ライドウは迷わずオベリスクを目指す。
カルパに足繁く立ち入り、悪魔の思想を理解しかけた生き物の目を覚まさせるその揺るぎない眼差し。
絶望を知ってなお陰らない瞳の光はトウキョウの守護者に相応しい。
カルパの奥に住まう主の依頼を一蹴して、彼は世界を元の姿に戻しましょう、と言った。
それがライドウの生業であり、トウキョウとそこに住まう人々を愛する者の願いだった。
不安は気づかない振りができない程あるけれど、それでも真っ直ぐな思いはコトワリ産むはずだ。
そう自分は、雨宮達郎は信じたいと思っている。
「わ、生きてる……」
悪魔に不意を突かれて死を覚悟したにも関わらず、目の前にはカグツチが煌々としていた。
少なくとも生きているし、ありがたいことに目もおかしくなってはいない。
傷口から出たらしい血が皮膚で固まって不快感を産んでいるのも分かるので、神経も死んではいないらしい。
手足の指を小さく動かせば、手の指は砂を足の指は靴の生地を擦った。
どうにか五体満足らしく、安堵の息を吐く。
「そう簡単に死んでもらっては困るな」
真横から聞こえた声の主の方に首を曲げると、何やら痛んで顔を顰める。
どうやらまだ治りきってはいないらしい。
ゴウトが詰まらなそうに鼻息を漏らし、尾を砂に滑らせた。
「起きましたか」
「ああ、うん」
腕の力を使って上体を持ち上げれば、無理やり治された体が違和感を訴える。
放っておけばじきに納まるのだが、一応腕を回したりして体を解す。
「あー、何か自信なくなってくるなあ。こんなので創世できるのかな?」
コトワリの周辺で屯している者達に苦戦しているようでは、彼らの頭を叩くことなど不可能ではなかろうか。
いまだ痛む首を撫でさすっている内に、自然と溜め息が零れた。
「……自分達が創世した後、何をしたいか考えたことがありますか?」
ライドウがそっと顎に軽く曲げた指を乗せて、暫く思案してから口を開いた。
考えたこともなかった質問に何度か眉を瞬かせながら、思考を巡らせる。
けれど、思い浮かんだのは下らないけれど穏やかな日々だけだった。
大きなことを仕出かすには動機が弱いかもしれない。
「ライドウは考えてるの?」
「時間と状況が許せば、菓子を食べて回ろうかと思います」
予想外の発言にゴウトを窺うが、頼みの黒猫は諦念を全身に纏って瞑目していた。
大正の世でお菓子を食べる男子学生というのは中々目立っただろうに、よくゴウトが目溢ししたものだ。
現在に至るまでにそれなりの諍いがあったのかと思うと微笑ましさすら感じる。
「甘いもの好きなの?」
「はい。大学芋が特に」
ふ、とライドウの口元が緩んで、大学芋が相当好きなのが透けて見えた。
生憎こちらは大学芋と中華ポテトの差すら分からないが。
「和菓子だけ? 洋菓子は?」
「ショートケーキ辺りも好みです」
へえ、と声を漏らしながら、ショートケーキなんか長い間食べていなかったことを思い出す。
甘い物は嫌いではないのだけれど、ケーキを食べる際にわざわざスタンダード過ぎるショートケーキを選択してこなかったのだ。
そう思うと急に食べたくなって、ごまかすように唾液を飲み込む。
「チョコレートとかは?」
「あまり口にする機会はないのですが、美味しいと思います」
「じゃあさ、うまくいったら百貨店行こうよ!」
バレンタイン周辺にはチョコレートが溢れ返る百貨店に、静かに目を輝かせるライドウが目に浮かぶ。
時期が違っても、きっとライドウが見たこともないお菓子ばかりが陳列されていることだろう。
この際ずっと興味はあれど、値段とサイズの理不尽さに手を伸ばせずにいたマカロンを買ってみても良い。
「チョコレートもすっごく高いんだよ。こんなのが六個で三千円とかざらなんだから、その分凄く美味しいと思うし」
「三千円?」
指で小さな円を作って見せると、目を瞑ってとぐろを巻きだしていたゴウトが頭を上げる。
一瞬それ程驚愕する理由が分からなかったが、すぐに物価の差に思い当たった。
「今はちゃんとした和菓子屋でお饅頭買ったら百円以上するから、多分ゴウトが思ってる程じゃないよ」
「三千円というと、大正の世であれば家が立ちますね」
ライドウも思うところがあったのか、ゴウトと小さく頷き合う。
平成の時代なら一千万以上ないとベッドタウンの中古物件すら買えないのだから、目も眩むような貨幣変動だ。
しかし、大正というと家の形態はどうなっているのかと考えると、余計分からなくなる。
木製の長屋だったとしたら、比較対象が擦れているような気がする。
「ま、頑張ろっか。俺もショートケーキ食べたいし」
詳しいことを聞いたところで、根本的に文化レベルが違うのだからどうしようもない。
どうせ、世界を元に戻してインターネットか図書館で調べれば物価差くらいすぐ分かる話だ。
そうやって創世後の具体的な予定を立てていくと、俄然やる気が湧いてきた気がする。
依然として不安ではあるのだが、しっかりとした目標があると意気込みが全然違ってきたのだ。
今回ばかりは馬鹿みたいに単純な自分に感謝せざるを得ない。
「はい、その時は案内をお願いします」
反動をつけて起き上がって、仕上げに大きく伸びをする。
しゃがんでいたライドウが合わせるように立ち上がって、マントに付いた砂を払った。
手で押さえながら首を傾けるとまだ微かに違和感が残るものの、人込みの中ショーケースを見詰めるライドウを想像すれば酷く些細なものに思えた。