尻切れトンボ媚薬ネタ



 冷たい痛みを感じた瞬間、数十分前にあの男をぶん殴った自分を殴りたくなった。
 けれど、明らかに怯えていた女性を見捨てることなんてできなかったことも分かっている。
 あの人はちゃんと逃げられただろうか。
 注射器を無遠慮に突きたてた男に睨みを効かされて、彼女に絡んでいた面々が縮み上がっていたのだから大丈夫だろうけれど。
 自分が二度とお天道様の下を歩けないような身分になっただけでなく、助けようとした女性まで酷い目に遭わされるなんてあんまりだ。
 そんなことはないと思いたい。

「大丈夫ですよ、常習性が極めて少ないタイプの媚薬ですから明日には綺麗に抜けているはずです」

 こちらの怯えを察してか、柔和な物腰と相違ない印象を抱かせる声で男が説明してくる。
 始めに思ったことは、麻薬や覚醒剤ではなかったと分かった安堵だった。
 しかし、次の瞬間にその言葉の意味を明確に理解する。
 車ががたんと音を立てて段差を乗り上げる振動がやたら大きく感じられた。

「――俺に何がさせたいんだい?」
「着けば分かりますよ。まあ、これから一時間くらい掛かりますから、腕が痛いかもしれませんが我慢してくださいね」

 薄っすらと笑みを浮かべる彼が嘘を言っているようには残念ながら思えなかった。
 少し窓のスモークがきつい高級車で後ろ手に縛られて、後1時間。
 それだけならばともかく、違法な成分が含まれていそうな媚薬を体内に注入されている状況だ。
 その薬が自らの存在意義を発揮してしまうとなかなか不味いのではなかろうか。

「そんな顔なさらずに。私はあなたを助けて差し上げたんですから、少しくらい見返りをいただいてもいいでしょう?」
「それはどてっ腹に穴が開くよりマシなことかな?」

 歯が耳障りな音を立てるのに構わず口に力を入れると、不快感を微かに表象させた男が目を眇める。
 至近距離で引き抜かれた拳銃のことを思い出す。
 拳銃を突きつけられる経験など一度もなかったから、胃の中が引っくり返るような恐怖に体が支配されたのを覚えている。
 現在の状況も恐ろしいには違いないのだが、こちらの胃は捩じ切れそうな感覚だ。

「もちろん。あとそれと」

 男が場違いにも感じられる笑みを浮かべながら、車の扉に備えられている荷物置きに手を突っ込む。
 そこから出てきたプラスチックの物体の正体が判然としなくて、思わず眉間に皺を寄せた。
 それを腹の上に投げられて、やっとそれの全貌を視界に納めることができた。
 男性器を模ったケースと上に設置されている南京錠、極め付けに男性器の根元の当たりにリングが着いている。
 実物など見たことはないが、これは、これはまさか。

「何やってるんだい!」
「ちょっと、暴れないでくださいよ。ズボン脱がせられないじゃないですか」
「脱がさなくていいってば!」

 足をばたつかせたり、体を捩らせたりする内に凶器が転がり落ちて男が小さく舌打ちする。

「止めてください。私だって車汚したくないんですよ」

 腕が離れて行って安堵した瞬間、無造作に鈍い光を放つ刃物が太股に添えられて体が硬直する。
 バタフライナイフなんて可愛らしいようなものではない。
 たとえば猟師が使うような生き物の心臓を貫くためにある、無骨で刃渡りの長いそれはただただ命を奪うためにあるようだった。

 殺される。

「――そう。賢明ですね」

 ぴたりと動きを止めると、まるで子供を褒めるときのように目を青年が細めた。
 背筋に這い上がる恐怖と共に胃が引っくり返りそうな感覚に襲われる。
 その様子を気にも留めず男はベルトに手を伸ばし、あっさりとジーンズを寛げてしまう。
 トランクスを引き下げられて露わになった自身は怖気のせいで縮み上がってしまっていた。

「始めは冷たいかもしれませんが、すぐに馴染みますよ」

 無遠慮に掴れて太股が跳ねたが、気に留めている余裕すらない。
 プラスチックケースに自身が被せられて、根元が輪に包まれる。
 袋の下に冷たい物が触れる感覚は生まれて初めて感じたが、経験するだけ損だったようにしか思えなかった。

「君、ゲイの気でもあるのかな?」
「まあ、仕事であれば調教の一つやぶさかではありませんが」

 あんまりにも躊躇いなく同性の性器に触れてくるせいで、頭に浮かんでしまった発想を挑発も兼ねて口にする。
 少しは機嫌を損ねるかと思ったが、彼の心に小波一つ生み出させられなかったらしい。
 代わりに随分穏やかでない答えがあって、言葉を重ねるだけ嫌な事実ばかり明るみに出てきてしまう。
 言葉を弄して状況を好転させられるほど自分に話術があるわけではないのだから、もう喋らない方がいいのかもしれない。
 零す溜め息には絶望に近い重苦しさが混じっていた。

 観念して静かにしている内に体に熱が渦巻いているのが分かった。
 少しの間その正体が把握できなかったが、その欲望が膨れ上がるに従って体内に注入された薬液のことを思い出す。
 貞操帯のせいで吹き飛んでいたのだけど、あれ以外の理由など思いつかない。
 そう気づいてしまったら、熱量の膨張率は加速度的に伸びていった。
 時折段差を乗り越えるためか車が弾んで体を揺らす感覚がダイレクトに性感を刺激する。
 いつの間にか頭にまで血が上がってしまっていたらしく、からからになった口内を無理に湿気らそうと唾を作って飲み込んだ。
 ごくんと喉仏が動いたのが分かって、飢えている感覚が助長されたような気がする。
 シャツの下にねっとりとした熱が溜まって、全身に汗をかいているのが分かった。
 気持ち悪いと身を捩る、その感覚すら今は罪悪だ。

「あと三十分ですからね」

 薄っすらと開いていた瞼が男の言葉に大きく開かれた。
 俯いた顔を彼の方向に向ければ、いい顔ですねだなんて微笑まれる。
 クソ、何がいい顔だ。
 次はしっかり視界を閉ざすと、ゆるゆると深呼吸を繰り返すことに集中した。
 次第に全身に止まっていた熱が喉元と下腹部に澱んできて、具体的な性欲へと形を変えていく。
 吐き出してしまいたい。
 柔らかな女性の体を抱きよせて、受け入れられながら欲望を解き放ってしまいたい。
 思考の一端を支配し始めた願望はじわじわと領域を侵して行った。
 体を揺らしてみても、貞操帯に覆われた性器に刺激を与えられるはずもない。

 苦しい。熱い。
 堪らず運転座席に額を押し付けたら、脂汗が滲んでいたらしくずるりと滑った。
 そのままがくりと体が折れて、肌同士が触れ合う感触に背筋に歓喜が走る。
 まるで女のような反応に頬が羞恥で染まるのを感じた。
 情けなさや焦燥感が一緒くたになって、じわりと涙が滲むのが止められない。
 もし、隣に人がいなければ大声で泣き出してしまっていただろう。
 こんな感覚も欲望も知らない。

「お疲れ様です。到着ですよ」

 からからになった口を閉じる余裕もなくなってきた頃、男が涼しい声で長旅の終わりを告げた。
 それでも茫洋とした頭にはその言葉が意味するところを理解することができなかった。
 一つ一つの言葉は分かるけれど、それがどういうことなのか判然としない。

「分かりませんか? 苦しいのを取って、すっきりさせて差し上げます」

 どうやら解放を意味するらしい男の説明に、頭が覚醒するのを感じる。
 この二つの拘束具を取ってもらえさえすればいいのだ。
 それなのに男は貞操帯を外すどころか、ジーンズの中に納めようとする。

「ちょっと」
「外に出るんですからそんなもの出しておくわけにはいかないでしょう」

 笑ってしまいそうなくらい上ずった情けない声音に、青年は少し呆れた調子で宥めてきた。
 ベルトまでしっかり止められて、立ち上がるように指示をされる。
 熱が足腰にまで及んでいて、立ち上がれるか危惧したが思いのほかあっさりと外にまで出られた。
 一時間ぶりに触れる外気は冷たく、その温度差にすら震えてしまいそうだ。
 出入り口に暖簾上の目隠しがあるので、どうやらラブホテルであることが分かる。
 もうどこでもいい。
 何でもいいからこの熱を発散させて欲しかった。

「ふふ、そんな物欲しそうな顔しなくても、ちゃあんとご飯は用意してありますから」

 ようやっと興奮を目に宿した青年が瞳を歪ませて、顎の輪郭をなぞってくる。
 もはや抵抗する気持ちも起きずに彼の後に付き従いながら、ご飯という言葉に思いを巡らせた。
 どう考えても堅気ではない男が男に薬を盛ってラブホテルに連れて行く。
 ご飯が男を意味していたらどうしようかと思うのだが、何となくありえそうな話でぞっとする。
 しかし、今誘われたら手を出してしまいそうなくらいには飢え渇いていた。

 エレベータに乗り込んで、一番上の上等そうな部屋の扉を彼は開く。

「お待たせしました! ゴールデンブロンドのブルーアイ連れてきましたよ!」

 扉を開けた先には廊下があって、その奥に向かって男が叫んだ。
 それに応じて準備は済んでいるとの旨の声が返ってくる。
 拘束が解かれるのかと思うと、気持ちがせいで廊下が遠く感じた。

「ハニーブロンドとグリーンアイの子って見たことあります?」

 テレビやグラビアの中でなら、と心中で返事をする。
 そうなってしまったのは、部屋の中を見てしまったからだ。

 そこにいたのは制服を着た女の子だった。
 エメラルドのような瞳が涙でけぶっているのがここからでも分かるけれど、四肢を拘束されているせいでまともに抵抗もできないようだった。
 吊スカートの制服から窺える体の細さと丁寧に跡を付けられたプリーツから出る白い脚。
 真っ白なハイソックスと地肌の境目が溶けてなくなってしまいそうなのに、一方で赤いタータンチェックのスカートとはきついコントラストを作っている。

 やだ、と掠れた声が耳に届いてぞくぞくと震えが走る。

「どうぞ、好きにしちゃってくださいね」

 腕の拘束の外れる小気味のいい音と共に、青年の魅力的な囁きが響く。
 不思議と罪悪感や抵抗感は覚えなかった。
 ただたただ頭の中で暴れまわる熱量を何とかしたくて、手渡された鍵で貞操帯を剥ぎ取った。
 手が震えていたのはどうしようもない。
 彼女に走り寄る途中にカメラが見えた気がして、今回のできごとの全貌を把握した。

「ゃ、や――! やだ! 触るな、ゆる、許して」
「……ごめんね」

 恐らく、素人を使ったレイプ物企画のポルノ撮影なのだろう。
 明らかに法律に違反している手法だから、表に出回ることはない。
 だからといって安心していいことではなかったが、そんなことが些細なことに思えてしまうくらいには頭が本能に征服されてしまっている。
 ごくんと唾を飲み込んだのが彼女には聞こえただろうか。

 抵抗を縫いとめたい欲求に駆られて、シーツに転がっている鍵で彼女に一時的な自由を与える。
 逃げ出そうとした彼女はしかし、こちらのぎらついた瞳に肩を竦ませてしまったようだった。
 背中をシーツから浮かしていた彼女を再び押し倒すと、一気にシャツを引きちぎってしまう。
 ボタンを意図的にシャツから飛ばすなんて行為をするのも初めてで、そのインモラルさ加減にくらくらした。
 ひ、と上がった声はそのまま嗚咽に変わり、時折懇願する言葉が混じる。
 怯えた瞳が、震える肩が、悲鳴が、彼女の全てが自らを煽った。

「や、あう…いた……うぅ…あっ、いや……!」

 肩や腰から推測するよりも大きい胸を覆う薄桃のブラジャーを引っ張り上げると、似たような色合いの頂点に貪りつく。
 胸から香る女性特有の甘ったるい体臭にくらくらしながらもう一方の胸を容赦なく揉むと彼女の相貌が苦痛に歪んだ。
 ああ、このままこの膨らみを噛み切ってしまいたい。
 その欲望のままに歯に力を込めれば、少女は眉間に皺を寄せた。
 髪質のせいで気づかなかったけれど、眉毛の太さ自身は自己主張が激しい方のようだ。
 それが彼女を幼く見せるのかもしれない。
 堪らず


 (ここで文章が止まっていて自分でもびっくりしました。)