それだけでうれしい



 あいつに抱かれた。
 まあ、国同士で性行為に及ぶのは珍しいことだけれども、ないこともないくらいの出来事だ。
 例えば、フランシスの信条にセックスには愛がなければならない、だなんて項目がなければそういう関係になっていたに違いない。
 全然残念ではないが、ヤったところで二人の間に愛が芽生えるとは到底思えないというのが共通見解だった。
 しかし、降伏や停戦の申し込みに際して体を差し出した場合、セックスをするのとコルセットを締め上げられて着せ替え人形にされるのとどっちが屈辱なのだろう。
 個人的には背中を足で押さえられながら普段は着けるはずがないインチのコルセットを締められて、かつらを被せられた上にふりふりの格好をさせられたのは随分ショッキングな出来事だった。

 アルフレッドの場合は男勝りの女に可愛らしい格好をさせてにやにやする趣味はなかったらしいので、極々スタンダードな結果となった。
 拳などによる暴力の行使も考えなくはなかったが、怪力を持ち合わせる彼からのそれを受けて無事でいる自信はなかった。
 回復するまで引き篭もっていられれば構わなかったが、近日中に開かれる会見には出席しなくてはならなかっただろうから避けたかった。
 恐らく、彼らも似たような考えだったらしく、通された部屋にはダブルベッドが一つ。
 遥か昔の報復には似つかわしい古臭い方法だったけれど、同時に覚悟を示す分かりやすい手段でもあった。

 何となく状況の異常には気づいているようだったアルフレッドの前でシャツを脱ごうとしたら、痛いくらいに力が籠もった手で止められてしまった。
 心底深刻そうな彼の表情に、思わず度肝を抜かれる。
 まさか、こいつなあんにも知らないのか。
 そんな予測を肯定するように、アルフレッドがどういうつもりなんだ、と凄んでくる。

 どうもこうも、そういうつもりだよ。
 そう声をかける代わりに、彼の上司の思惑を説明してやる。
 確かに彼の上司の世代は最早イギリスが強大だった頃を実感した世代ではない。
 だからこそ、強いアメリカが格下の国に踏みつけられていた事実が許せないのだ。
 彼らからすればアメリカは強く、何者からも自由でなければならない。
 その過去を払拭せよと、過去が要請しているように、きっと彼らは感じている。
 そう説明してやっても、アルフレッドは納得がいかないようだったけれど。

 国が政府にどれだけ干渉できるか、というのは実際のところよく分からない。
 少なくとも、降伏の際に身を差し出すのは暗黙の了解のようではあったけれど、それがあるから要求が通るとかいうものではなかった。
 それは今回だって同じだろう。
 けれど、この体の衰えも痛みも、個人の問題ではない。
 この何倍もの苦しみを味わって、その上力尽きていく国民が数え切れないくらいに存在するのだ。
 今ここで彼の上司からの要求を拒んで、少しでも入金が遅れたら? 想像するだけで、背筋が冷たくなって胃に火が付いて喉まで焼けるような感覚に襲われる。

 そんなことは絶対に許されない。
 どうか助けて、直球に請うてしまいそうになる口を一度閉じてから、不安要素を取り除きたい、と懇願した。

 ゆらり、とテキサスの向こうの虹彩が輪郭を曖昧にした。
 きゅっと口元を食い縛って、それでもアルフレッドがシャツのボタンに手を伸ばす。
 思わず安堵の息を漏らして、アルフレッドの頬に唇を落とした。

 場合によってはセックスだって暴力だ。
 本人が自覚をしていなかったとしても、勢いに任せた愛撫は痛みを伴う。
 遠慮のない挿入行為であれば、処女でなくとも出血するくらいには繊細な器官なのだ。
 若々しい彼と心身ともに消耗している自分が事に及んだら、アルフレッドが意図はしていなかったとはしても辛い目に遭うだろうとは思っていた。
 しかし、彼の手はどこまでも優しかった。
 挙動の端々にアーサーに必要以上の負担をかけまいとしているのが窺えて、不謹慎にも泣きたくなるくらいに嬉しくなった。

 害意を与えたくないと思ってもらえている。
 そのことが、彼の心情を示していた。
 憎まれていないのだと、その体温が伝えてくる。
 元であるとはいえ弟だと思っていた相手に抱かれる違和感など、その優しさに消し飛んでしまった。
 それが分かっただけでも良かったと思う。

 いつもよりもずっと触り心地が悪くなっているだろう体を丁寧に撫でるアルフレッドに注文はないかと尋ねると、辛そうな声音で楽にしてくれと返される。
 以前経験に則って聞いてしまったけれど、悪いことをしてしまったような気がする。
 自分の最中の声があまり評判が良くないだろうことは知っていたから、多少の脚色は黙って入れるべきだったのだ。
 しかし、どうも彼はこの行為を積極的に楽しむ気持ちは持ち合わせていないらしい。
 だとしたら、少しくらい甘えてしまってもいいかもしれない。
 丁寧に胸を弄られる感覚に彼の頭に触れる手が時折震えた。
 舐られていた乳頭に歯を立てられて上げてしまった声は、やはり小さくて掠れていたような気がする。
 それでも嬌声に気がついて向けられたアルフレッドの視線はどこか熱っぽくて、その熱に心底安心している自分がいた。

 秘所に指を這わされると、さすがに息だけで刺激を逃がすなんてできなかった。
 喉が震えた瞬間と同時に小さく水音が響く。
 愛液の存在に気づいたアルフレッドが如実に緊張を緩めるから、思わず笑ってしまった。
 途端に不服そうな彼にもっと分かりやすくするべきかと茶化してやれば、つんと唇が尖って元々幼い顔に拍車がかかる。
 どうしよう、可愛いなあ。
 くすくす笑う合間に言ってやっても良かったが、その前に本格的にそこここを弄られて腰が引けてしまう。
 膣が何かを求めるように縮まるのと同じように、締まってしまう喉から切れ切れの声が上がった。
 普段の言動とは打って変わって丁寧な愛撫に、視界が涙で歪み出す。
 指を挿し入れられた瞬間など歯を食い縛っただけでは堪えられず、膝がアルフレッドの体を擦ってしまった。

 指を増やされると自然水音が大きくなるのに、まだ満足できないかのようにアルフレッドがばらばらに指を泳がせてくる。
 甘ったるい声を上げてしまって、やっぱり向けられる視線にかち合った。
 先程よりももっと明確な欲情の色に押されて、視線を外すといいポイントを刺激されてぶわりと鳥肌が立つ。
 男の人の欲望に晒される感覚に頭がぼおっとなって、堪らず彼を誘った。
 おいで、と口にすれば、急にアルフレッドの熱っぽい瞳に明確な意思が灯った。
 自らに宿った欲望の理由と向けられている対象を認識して、ほんの少し迷いが浮かぶ。
 こんなひん曲がった同意の上のセックスなんて、ヒーロー気質の彼は随分負い目を感じているだろう。

 けれど、彼はその全てを振り切ったようで、可愛いだなんて言葉を吐いてきた。
 そんな馬鹿な。
 こんな痩せっぽっちなだけではなく、あちこち弱りきっている女が可愛いはずがない。
 リップサービスにも程があるぞ、アルフレッド。
 それなのに、アルフレッドは可愛いと繰り返しながら、膣口に指を当ててそっと自身を押し付けてきた。
 熱い塊がゆっくりと押し入ってきて、触れ合う所から焼き切れてしまいそうだった。
 異物を拒否するが如く固縮こまろうとする体をいなしながら、アルフレッドの首に縋りつくと知らない人の匂いがした。
 確か舌足らずな物言いの頃はもちろん、全面的に慕っていてくれた少年期は太陽の匂いがしていたはずだ。
 急激にその身を成長させてから抱きしめる機会なんてなかったから、匂いの変化に気づくはずもない。
 太陽の匂いがなくなったわけではないけれど、そこに男の人の匂いが混ざりこんで堪らない気持ちになる。
 いつの間にこの子はこんなにも大きくなっていたのだろう。

 久々の被征服感に苦労しているのを悟られてかけられる声も知らないものだった。
 優しさというか、親愛に似た響きを織り交ぜると表現するとまるで昔の声音のように思えるが、決してそうではない。
 浮ついたようでいて、心臓に直接響くような深い声。男の人の声だ。
 全てが収められて深々と息を吐くと、アルフレッドが大きな腕で抱き寄せてくれる。
 自分よりも大きな体で世界を断絶されて、まるで彼が自分だけを感じて欲しいと言っているようだった。
 熱い体に擦り寄ると、納まりきっていると思っていた熱がより深くに潜り込んで来て呼気が乱れる。

 その様を見て、アルフレッドが表情を溶けさせる。微笑んでいるような、愛しいものでも見ているような。
 まるで愛情の伴ったセックスのようだと思う。
 セックスにおける一種のマジックだろうが、始めの頃の辛そうに自分を窺っている顔よりずっといい。

 宣言と共に律動が始まって、首筋が総毛立った。
 熱がゆっくりと内壁を抉って行く感触に彼の体に、額を押し付けて声を上げる。
 詰まらない、密やかな声だと熱に浮かされた頭で考えた。
 派手なセックスを好む輩なら、きっとベッドの軋みや水音で紛れてしまっていたことだろう。
 髪の生え際に手を当てられて素直に顔を上げれば、異様な興奮に輝く瞳とかち合った。
 テキサスが曇ってしまいそうな熱量だ。
 突然乱暴に突き上げられて吐息が喉の奥で引っかかったけれど、鋭い動きは一度だけだった。
 こんな密やかな声音でもしっかり聞き分けて、ちゃんと気持ち善がっているのを感じ取ってくれているのだ。
 そんなことをされてしまっては心の底から安心し切って、身を預けることしかできなくなってしまう。

 奥の方にあるいい所を突かれて、声が裏返った。
 気持ちいいかと尋ねられて、酩酊しながらアルフレッドに応える。
 気持ちいい。
 躍起になって犯されるよりも、ゆらゆらとゆっくり確実に追い詰められる方がずっと快感に夢中になってしまう。
 無理やり高い所に引っ張り上げられるのと違って、焦燥感も混乱もない代わりに泥沼に沈んで行ってしまうような感覚だった。
 ずるずると段差のある部分がその場所をなぞっていく度に、どんどん視界が滲んで意識まであやふやになってくる。

 声が出ない。
 だからかもしれないが、ふっふと溢れ出す息を食い縛って抑え込むアルフレッドがじっとこちらを窺っていた。
 何もかも白日に晒してしまいそうな瞳に気持ちが解けていく。
 どうして始め彼と抱き合うことに抵抗があったのか、もう分からなかった。
 こんなに優しく自分を抱いてくれる人なんて、きっと彼以外どこを探したっていないだろう。

 しあわせだ。こんな幸せな気持ちで誰かと抱き合ったのは本当に初めてだ。

 ほとんど泣き声で限界を訴えると、うん、とふわふわした返事があった。
 アルフレッドは幸せだろうか。
 自分が感じている何分の一でも幸せに思ってくれているだろうか。
 金銭のやりとりなんて心に冷水を注ぐような理由が切っ掛けだったけれど、それでもそう思ってくれていれば嬉しい。
 その声が奔流を抱える瞳が真実だと信じたい。
 幸福を与えてくれたこの人に少しでも何かを返せているといいのだけれど。

 大きく腰を引かれた瞬間に頂点を極めたから、押し入ってきたときの痺れは凄まじいものだった。
 直接胎内に注がれて、奥行った場所がかあっと熱くなる。
 ひん、と上がる声を聞いて、アルフレッドが少し表情を曇らせたような気がした。
 怯えたように響いてしまった声をアルフレッドに対する非難だと解釈されては堪ったものではない。
 頭を抱き寄せて受け入れてやれば、意図に気づいたのか腰を抱き寄せながらアルフレッドがどん詰まりまで入り込んできた。
 ふああ、と蕩けきった声が上がる。

 それからのことはよく覚えていないから、きっと絶頂の波が引くと共に眠りに落ちてしまったのだろう。
 目が覚めたらアルフレッドの姿はどこにもなかった。
 目を瞬かせながら、少し下腹部に違和感を抱えながらもだるさすら感じない腰に思いを馳せる。
 恋に落ちてしまいそうなセックスだった。
 密やかで、端々まで意識が配られていたから、大切にされていたのだと確信が抱ける。
 多分、何のしがらみもない関係であったら、きっと愛してしまっていただろう。
 しかし自分達の場合は残念ながら、そんな簡単な関係ではあるまい。

 けれど、一つ分かったことがある。
 いつの間にか彼は十分大人になっていた。
 身体面ではいわずもがな、意に添わぬ行為を受け入れたし、その上でしっかりと相手の配慮をしてくれた。
 相手が目覚める前にいなくなってしまうのはどうかと思わなくもないが、これも一種のメッセージであろう。
 これ以上この話題を引っ張りたくないと思っているのくらいが順当なところだろうか。
 少なくとも個人間ではなかったことにしたい。

 実際、会議場で顔を合わせても全くといっていいほど絡んでこない。
 じゅるじゅるコーラを啜るアルフレッドはいつも通りのように思えるが、絶対に視線を合わせようとしない。
 ここまで無視されてしまうと寂しさが込み上げる。のっぴきならない状況だったとはいえ、やっぱり後悔しているのだろうか。
 彼の残留が胎内にあった頃ですら感じなかった重たい感覚が腹にとぐろを巻き始める。
 それでも彼はこちらを見なかった。


「アルフレッド」


 会議が終わってから頃合を見計らって声をかけた瞬間、びくりと肩が跳ねたのが分かった。
 なんだい、と返事はするものの、絶対にこちらを見ようとはしない。
 声だっていつもの溌剌さと比較するまでもなくがちがちだった。


「わ、わ、ちょっと、だめ、駄目だって!」


 覗き込むと、こちらの顔を押さえ込むようにしながらアルフレッドは視線を阻もうとしてきた。
 それでも隙間から大慌ての口調に相応しい彼の頬が見える。
 一歩距離を詰めて彼の手の平に頬を当てれば、怯えたように腕が引かれた。


「はは、真っ赤になってら」


 そう言えば、彼の顔が輪をかけて紅潮して、きゅう、と心臓が音を立てた。
 宙をさ迷う手首を掴めば頬の色に相応しい体温が伝わってくる。
 その手の平を頬に付けると、始めの内は暖かだったけれどすぐに伝染して分からなくなってしまった。
 なあ、会議中の俺の気持ちは取り越し苦労だったかな。
 ついでに、今までの関係とか、そういうことも別に気にしなくたっていいのかもしれない。
 そんな風に聞いてやるのは可哀想だと思うくらいには、彼が動転しているのもついでに伝わってくる。
 アルフレッドときたら、全然スマートに対応できないのだ。


「ガキだよな、お前」
「……それ、聞き飽きたんだけど」
「うん。何回ガキって言ったっけ。だから勘違いしてたんだよ。お前がずっと小さい子供のままだって」


 アルフレッド、お前は一体どう思っているだろう。
 少なくとも俺は今のお前を男として可愛いと思ってるよ。
 元弟をだなんて、と自責の念が沸き起こらないのは、俺がずっと知らなかったお前を知ることができたからかな。
 だから、その震える唇が言葉を語るのをとても楽しみに待っているんだ。