近くて遠い



 オーケイ、状況を整理しよう。
 我が家は四人家族である。
 ついでに言うなら猫が二匹いる。
 一匹はぶにぶにしている割には活発で悪戯好き、もう一匹はとてもいい子だけど結構好戦的で、とりあえず二匹とも可愛い。
 ぱっと見は一般的な家庭と一緒だが、あえて差異を見つけるなら、親同士がバツ一だということと二人の子供がどちらも連れ子だという事実だ。
 姉のアーサーは母の子供で、弟のアルフレッドは父の子供だ。
 姉が九歳で弟が五歳の頃に再婚して、そこそこ上手くやっていた。

 けれど、再婚から四年経って問題が発生する。
 姉が中高一貫の寮制学校に入学してしまったのだ。
 母も父もそれほど教育に力を入れているわけではなかったのに、姉がどうしてそんな進路選択をしたのかはいまだに分からない。
 四年間でべたべたに懐いてしまった弟は姉に縋って身も世もなく泣き喚いた。
 最後は二人とも泣きじゃくって別れたのだが、時の力は恐ろしいもの。
 気がつけば繊細なお年頃である反抗期や思春期に突入してしまった弟は長期の休みのたびに返ってくる姉と距離を取った。
 いつの間にか他人としか思えなくなった人物が家に上がりこんでくる状況に、奇妙な居心地の悪さを感じていたのだ。
 そもそも、一滴も血が繋がっていなかったから、事態は深刻に思えた。
 姉は弟の心情の変化を察して、表情を曇らせながらも弟を刺激することは次第に減っていった。

 しかし、反抗期や思春期は永遠ではない。
 姉が法律系の大学に通いだした頃には弟のその時期特有の固くなさも随分緩んで、たまに勉強を教えてもらうくらいにはなった。
 二人を見かねた両親に他人としてしか見られないなら、友達になればいいと諭されたのがきっかけだったと思う。
 それから、まだぎこちなさは残るものの、それなりにはやっているはずだ。
 表面上は大体こんな具合である。

 一人暮らしをしている姉が久々に帰ってきた。
 どうやら結構な長期滞在らしい。
 そんな矢先の母の一言だった。

 韓国へ同僚と行ってくる。
 そうして、いうにも事欠いて付け加えた言葉はお父さんも海外出張で帰ってこないから暇だし、だった。

 母はお付き合いで韓国へ行って、ずっぽり嵌ってしまったタイプだ。
 タイミングでいうと、同僚よりも姉と行くべきではあるまいかと思わずにはいられない。
 というか、お父さんと行ってあげて。

 しかし、父はすでに出張で海外に渡ってしまっていて、姉に至っては呆然と立ち尽くしている。
 折角一人暮らしの家事から解放されようと帰ってきているだろうに、初っ端からこれではさすがに哀れだ。
 何とかB.Bクリーム買ってきて、と返事をする彼女の背中は丸まっていたことだろう。

 以上、ここまでが三日前までの話である。
 健気にも家事をこなすアーサーを手伝いながらも、初めて彼女の料理の腕を知った。
 リアルな不味さである。
 これでもまだましになった方だと告白したアーサーは涙目で、追加でどうこう言う気にもなれなかった。
 後は大学院での話を聞いたり、逆にアルフレッドの専修である考古学の話をしたり、はたまたニュースについて議論したり。
 そんなこんなで過ごしてきたけれど、そろそろ限界がやってくる。
 話題ではなく、アルフレッドの感情面の問題だ。

 青少年が同じ屋根の下にいる他人から距離を取る理由は多々あるだろうが、他人を異性に変えてしまえば理由は一つしかないだろう。
 たまに帰ってくる彼女はその回数を重ねるたびに、女性らしくなっていく。
 アルフレッドが恋人を作って性交渉をするように、同じように生きているのだと思うと気が気ではなかった。
 始めはシスコンかと思ったが、愛情が恋愛に傾くのは最早別物ではなかろうか。
 彼女をオカズにした晩、アルフレッドは少し泣いた。
 それから情けなさや恋しさを隠して、時間の隔たりを理由に距離を置いたのだ。
 けれど、高校生になってからできた彼女に最早入れあげることは叶わず、そう経たない内に別れてしまった。
 罪悪感に苛まれながら、何度もアーサーが姉として家に居続けていればどれだけ良かっただろうと初めて思った。
 そうすれば、アルフレッドはアーサーを姉として見続けられたに違いない。
 家族はもちろん、友人にさえ言えない思いを抱え続けて早何年か。

 そんな涙ぐましい努力が実を結んだのか、幸か不幸かはともかくアーサーにこの気持ちは悟られていないようだった。
 だからこそ、彼女は家飲みを開始したのだろう。
 一瞬何が起こったのか分からなかった。
 戸籍上では一応身内だとはいえ、健全な青年を前に一方的に酒を飲み始めるだなんて。
 法律的にはセーフだが、状況的にはどう考えたってアウトだ。
 しかもこんなにべろんべろんな酔い方をするだなんて思いもしなかった。
 飲み会でこんな酔い方をする女の子がいたら正直引いてしまうはずだが、これが可愛らしく思える自分の頭はかなりいかれている。
 ドン引きだ。


「……アーサー、もうこれくらいにしときなよ」
「んー? だいじょうぶだって、まだのめる」


 白いペットボトルに入ったマッコリをぶんどると、一分の迷いもなく瓶にアーサーの手が伸ばされる。
 魔の手からマッコリを守ろうと腕を引けば、その分体を前のめりにして追ってきた。
 と思うや否や、アーサーの小さな悲鳴と共に上体が傾く。
 マッコリにダイブするに飽き足らず、完全にアルフレッドに体を預ける形でアーサーがどうにか転倒を免れた。


「発音と同じくらい体もぐだぐだじゃないか!」
「あー、これは甘くてのみやすいわりには度数がビール並だから」


 おもちかえりようだぞ、とアーサーがふふ、とふわふわした口調で解説しながら笑った。
 離れるどころかぎゅうっとしがみ付いてきて、腕にだけ酔いが効いていないのかと訝しむ。
 そうでもしないと、お持帰りだなんて直接的な言葉と女の人の柔らかな感触に理性が攫われそうになる。
 それとも何ですか神よ、堪えに堪えた末の今がそのときだと仰るのですか。


「ほんとならお前ものめればいいのにな」
「来年ね! ほら、良いからベッドで寝よう? 立てる?」


 にこにこ笑う彼女に俺が飲んでいなくて幸運だったね、と内心語りかける。
 もし飲んだとしたら、彼女と同じくらい酔っ払う前に押し倒してしまっていることだろう。


「……だっこして」


 座っていたソファから立ち上がって彼女の手を引っ張ろうとしたときだった。
 上目遣いで手を伸ばして、何を言っているんだろうこの人は。
 二十三年生きた人が言っていい言葉ではないはずだ。
 お酒でぽかぽかした体に相応しく、暖かくなった思考が赤らんだ頬と潤んだ瞳から窺える。
 風呂上がりだから、ゆるいホームウェアなのも堪らない。
 そんな彼女が見上げながら、だっこしてと、ねだってくるのだ。


 神よ、そういうことで宜しいか!


「分かったよ、どうやってだっこしてほしい?」
「……じゃあお姫様だっこ」


 自ずと低くなってしまった声にも気づかず、悪戯めいた笑みを浮かべてアーサーが手を伸ばしてくる。
 彼女の両脇の下に腕を通してひとまず抱え上げれば、そのまま肩口に頬を摺り寄せてきた。
 しっとりとした高めの体温を感じて、首筋がぞわぞわする。


「ほらアーサー、足上げて」


 耳元で囁いてやると、条件反射の如くアーサーの喉が鳴る。
 情事のようなそれに抱き寄せていた腕に力が籠もった。


「へへ、こんなのはじめてだな」


 かっこいい、と大人しくお姫様抱っこされているアーサーに耳元で囁き返されて、熱っぽい吐息が耳の輪郭を擽る。
 持ち上がりそうになる口元をどうにかいなしながら溜め息を吐いてみせると、彼女はすこぶる満足そうに笑った。
 今に見てろよ酔っ払いめ。


「え、ちょっと」


 足元が見えない不安に駆られながらも階段を上がりきって、自室の扉を開く辺りでアーサーがようやく異変に気づいたようだった。
 呼びかけに返事はせずに、体を斜めにしてアーサーが壁にぶつからないように注意を払って部屋に入る。


「ここ、おれの部屋じゃないぞ」


 もぞもぞし出したアーサーを落さないように腐心しながら、足で扉を閉めてベッドに向かう。
 雑然とした部屋をきょろきょろ見渡す彼女は現状を把握しきれていないらしくて、掃除がどうのとか呟いている。
 失礼な。確かに物は多いけれど、実のところいらない物はほとんどないのに。


「ち、ちょっとアル、アルフレッド!」


 ベッドに彼女を放り出し、目を真ん丸くしている内に覆い被さって退路を断った。
 アーサーの上に一人一人分の影が落ちて、いつもの明るい緑の瞳が一段暗く見える。
 その瞳からはふわふわした雰囲気は取り払われて、いつもの冷静な彼女が顔を見せたようだった。
 気持ち良く酔っ払っていたら、いきなり弟分に押し倒されれば誰だってそうなるだろう。
 アーサーの制止にはやはり答えずに見下ろしていると、探るような瞳で見つめられる。
 きゅうと臓器が引き絞られるような感覚に、一刻も早く手を出すべきでないかと急かされているような気がした。
 けれど同時に、その視線にすら高揚感を覚えている自分は相当彼女にいかれているのだ。


「なるほど、金か。幾らいるんだ?」
「……なんだってそうなるんだい」


 一瞬、ほんの一瞬ではあるけれど、気が萎えかけた。
 自信満々に何を言っているんだこの人は。
 しおしおと突っ伏してしまいたい体に叱咤し、何とかうな垂れるだけに留める。


「相手してもらうんだったらいるだろう。プロにしてもらった方が気持ちいいぞ?」
「だからなんで、自分が性欲処理の対象だとおもうんだよ! そりゃ、変なところで抜けてるとはずっと思ってたけど、まずは考えてごらんよ! ただやりたいだけだったら、そもそもこんなリスク犯そうだなんて思わないじゃないか」


 不思議そうに小首を傾げるアーサーに思わず食ってかかる。
 酔っ払いではあるまいし、何が悲しくて何とも思っていない身内をどうこうしなければならないのだ。
 この、ある種悲壮なくらいの気持ちは一ミリほども理解されていないらしい。
 そう思うとなんだか鼻の奥がつんとしてきて、途端に逃げたしたくなる。


「分からないかな、君がいいんだよ。君じゃなきゃ嫌だ」


 言ってしまえばいいのに、それでもたった一言が出てこない。
 時々発露する自分の卑怯な部分が心底嫌になる。
 面倒臭い告白を聞いたアーサーは目をぱちくりさせてから、ふんわり笑った。


「駄々っ子だなあ、ほら、そんな顔しない」


 伸ばされた手が後頭部に巻きついて、ゆっくり引き寄せられる。
 抵抗もできずにゆるゆるとシーツに突いていた腕の支点を手の平から肘にまで移した。
 暖かい手の平が頭を引っ掻き回す。
 一体自分がどんな顔をしているのか分からないが、とりあえず眉間に力を入れているようだったので緩めてみる。


「そうだな、お前が弟じゃなかったらなあ。何だかんだいって格好良いし、勉強だってちゃんとしてて真面目だし」
「……弟だからセックスできない?」


 断るつもりなら、首にまで指を伸ばさないでいただきたい。
 暖かなはずの指先の温度が分からないくらいには首に熱が溜まっているのが分かって、釣られるように吐息が重たくなる。
 直接的な発言に一瞬肩を竦ませて、アーサーが頷いた。
 当然だが、彼女も恐ろしいのだ。


「それは違うよアーサー。結婚できない間柄の条件って覚えてる?
「ええと、三等親以内の血縁者だな」


 多少飛躍した発言に面食らいながらも、正答が返ってくる。


「そう。俺も調べてみたんだけど、結婚できないのは実際の血で繋がった三等親以内の人間同士なんだ。戸籍の繋がりは絶対じゃないから、一度籍を外してしまえば結婚できるんだよ」


 つまり、アルフレッドとアーサーは今のところ姉弟かもしれないが、一度縁さえ切ってしまえば何とでもなるのだ。
 上手く結論まで結びつかないでいるらしいアーサーの耳元にアルフレッドは顔を寄せた。


「結婚できる関係で、セックスができないっていうのはおかしくないかい?」


 おかしい。
 この理論はどう考えたっておかしい。
 恐らくアーサーは倫理で拒否しているのに、論理に摩り替えて話をしているのだ。
 法律が許したって、親や世間が許すとは限らない。
 でも、それでも結婚してしまう連れ子はいるのだろうし、籍を入れなかったとしても内縁関係を結ぶこともあるはずだ。
 そうなれればいいと心底思う。
 耳の輪郭を唇で食むと、アーサーがふるりと震えた。


「っ、それはそうだけど」
「なら他にできない理由ってある? さっき別にしてもいいみたいなこと言ってたよね」


 おろおろと俯く視線を追いかけて、アーサーを下から見上げる形になる。
 吐息から感じるアルコールの気配に今は心底感謝しなければならないだろう。
 健常な思考回路なら、今頃張り倒されているに違いない。


「嫌じゃないけど……」
「じゃあしてみよう? 嫌になったら言って。絶対止めるから」


 絶対止められるはずがない。
 あまりの茶番に半ば呆れそうになるが、今は真剣そのものの口調を保たねばならないだろう。
 引き絞られた口元が泣き出す瞬間のように震えて、その少し薄い質感に釘付けになる。
 唇に気を取られている内に後頭部に置かれ続けていた手が引き寄せられて、そのまま彼女の胸元に突っ伏してしまった。
 思いの外大きい布越しの感覚に視界が熱を帯びる。
 視線だけでアーサーを窺うと、酔っているせいだけではないだろう赤い顔が小さく頷いた。





 酒を飲めない若者を前に気持ち良く酔っ払っていたら、思わぬ報復を受けた。
 押し倒されてもまだ冗談だと思っていたのは自分が酔っているせいだったのか、素面でも同じ反応を示したのかはよく分からない。
 君がいい、と赤面ものの台詞と共に熱っぽい視線で見つめられて、きゅうっと心臓が悲鳴を上げたのは事実。
 法律上、二人がセックスすることになんら問題はないのだと主張する彼の必死さが愛おしいと感じる基礎は何年も前から培われていたのだ。
 男の子の成長というのは凄まじいもので、高校生になってからの身長の伸びっぷりときたら尋常ではなかった。
 急激な成長期には骨が伸びる音が聞こえるのだといつか聞いたが、それが本当だとしたらアルフレッドだってその軋む音を聞いたことだろう。
 身長に釣られるように顔立ちだってすっかり変わった。
 つまり、他人になったと思ったのはアルフレッドだけではなかったのだ。
 距離を置かれるのは辛かったが、同時にどこかで安堵してもいた。
 強烈に異性を感じさせる相手とこれ程近くにいる状況など、あのときは正直なところ堪えられることではなかったのだ。
 それが気まずさだったのか、それとも他の感情に基づいていたのかは今となってはよく分からないが。
 けれど、距離感に対する安堵に降りかかる罪悪感から、二人の間に横たわるよそよそしさを解消したいとは思っていたのだ。

 そのどうにか仲良くなりたいと思っている異性から唐突に押し倒された挙句告白もどきを受ければ、ベクトルの違う愛情に裏切られた気持ちになるかその気になるかのどちらかである。
 うっかりその気になってしまったのはアルコールのせいだと思いたい。
 その熱の籠もった視線と同じであろう指先に触れてもらいたくて堪らなかった。

 頷いた途端、アルフレッドが勢い良く顔に近づいてきて、反射的に小さく悲鳴を上げる。
 必死な表情にたじろぐが、その思いを察すれば途端に可愛らしく感じるから不思議だ。
 けれど漏れ出てしまった声に一瞬怯んだらしいアルフレッドが頭を振って、何度か目を瞬かせた。


「……ごめん、すっごくがっつくと思う」
「やだっていったら止めるんじゃなかったのかよ」


 急に弱音を吐き始めたアルフレッドをからかってやると、頑張る、とこれまた可愛らしい宣言が返ってくる。
 思わず口元を緩めれば、途端に拗ねたような顔をして唇を重ねてきた。
 態度や宣言の割には重ね合わせるそれはためらいがちだ。
 感触を確かめるように啄ばまれて、閉じてしまっていた瞼をゆるゆると上げる。
 すでにとろんとしているアルフレッド瞳が焦点のぼやけた視界に映ったのを合図に少し頭を引いて首の傾けて、開いた唇から舌が差し入れられた。
 自分もこんな目でアルフレッドを見ていたのだろうか。
 ゆるりと瞼を落としながらそんなことを思う。


「…は、ふ……う…ん」


 がっつくとの宣言が効力を発してきたのか、遠慮なしにそこら中を舐めまわされる。
 荒々しいわけでもないし時間をかけるつもりもあるようだが、忙しないのは宜しくない。
 肩を押して制止して、じれったそうにするアルフレッドに笑いかける。


「ばあか、キスっていうのはこうやってやるんだよ」


 邪魔になるだろう眼鏡を除けてやって、彼が目を真ん丸くしている内に口づけた。
 碌に反応ができないでいるらしいアルフレッドの舌を絡め取って甘噛みをし、ゆっくりと隙間なく歯と歯茎の間に舌を這わせる。キスは好きだ。
 即物的な男共はもっと他の場所を早急に求めるが、本当ならあちこち触られている間もキスをしていて欲しいくらいなのだ。
 アルフレッドにもこの魅力が伝わればいいのだけれど、と首筋に熱が灯るのを感じながらぼんやり願う。
 ふ、と鼻から漏れ出す声が聞こえて、その熱っぽさにくらくらした。


「ん、こうかい……?」


 溢れてくる唾液も積極的に与えてからやっと顔を離すと、上ずった声で囁きながらアルフレッドが唇を重ね直す。
 物覚えは元々良かったからかうまくトレースしたらしく、芯からとろとろにされるようなキスに背筋が震える。


「あ、んぅ…む……んっ」


 その上、それだけでは飽き足りなくなったのか、指先が耳や首筋を撫でていく。
 爪でこそばすように耳の輪郭をなぞられた後、小指の先がそっと外耳に差し入れられてえもいわれぬ感覚に肩が竦んだ。


「アーサー、耳好きなんだ?」
「……そう見えたか?」


 全く持ってその通りなのだけれど、挑発も兼ねて口角を上げてみせる。
 うん、と素直な返事と共に唇が耳に口付けられて両耳を指と舌で穿られる。
 あまり綺麗とはいえない部分に尖らせられた舌が入ってくる感覚に、擬似セックスをしているように思えた。


「ん、あ、ぁ…アル、ふぁ」


 そう思えば、覿面に受ける快感が違ってきて、脇腹を撫で始めたアルフレッドのシャツを引っ張る。
 あーさー、と熱っぽく呼ばれて、その意味も図りかねるまま条件反射のように頷いた。
 一瞬遅れて、服を脱がす了解が欲しがっていたのだと気づく。
 別に拒否するつもりも毛頭ないから、なんら問題はないのだけれど。

 顎から首筋、果ては鎖骨まで舐め上げながら、アルフレッドはセオリー通りにシャツのボタンを外していく。
 手元が見えないのによくやるものだと感心していると、重要なことに思い当たった。
 押し倒されたときにさえ湧き上がらなかった焦燥がじわりと滲んで、ボタンを弄るアルフレッドの手を制止する。


「ぁ、アル、待って」
「どうしたの?」
「いや、その、下着が全然、ほら、勝負用とかじゃないから」


 ああ、こんなことなら、あの髭の助言も素直に聞き入れていればよかった。
 いつどんな所にチャンスが転がっているかなんて分からないのだから、いつもからそれなりの下着を身に着けておくものだ、と偉そうにのたまった奴の脇腹をどついている場合ではなかったのだ。
 明日着る予定のシャツが透けないように選んだ明るいベージュの下着はまあお世辞にもかわいいとはいい難い、実用に特化した一品である。
 肩紐だってずれないし、カップのサイズもちょうどいいのだが、その素晴らしさは恐らくアルフレッドには分かるまい。
 というか、分かられたら怖い。


「そんなことより重要なのは中身じゃないか」
「おまっ……もしそれで小さかったらどうするつもりだよ」


 今更嫌だと言い出すのかと危惧していたのか硬くなっていたアルフレッドの口元が俄かに緩んで、なかなかリスキーな発言をかましてくる。
 大きさにおいては自信がなくはないのだが、やはりブラジャーの性能はさることながら、寝転がったら嫌でも流れてしまうわけでその。
 恐らく、経験がないわけではなさそうなので、そのくらいは分かっているだろうけれど。


「そのときは感度重視かなっと……ふうん、なるほどね」
「そんなじろじろ見るなって!」


 深刻といえば深刻かもしれない話をしている内に、制止をものともせずシャツのボタンを外し終えたらしい。
 地味な下着を観察者に近い視線で見られると、恥ずかしいを通り越して情けなくなる。


「結構あるじゃないか。C……Dくらいかな。ね、脱がさせて」


 アーサーの悲鳴をまるっきり無視して、一人ごちるアルフレッドがシャツを脱がしにかかってくる。
 腹が立たないわけではなかったが、文句を言って下着を晒し続ける方が問題だったので、体を捻って彼に協力した。


「自分で取ろうか?」


 背を逸らしてできた隙間に手を突っ込んで、ホックを外そうとするアルフレッドに提案する。
 さすがにこれは簡単には外せまい。


「だめ。……ほら、取れたよ」


 男としてのプライドに傷が入ったのか、少しふて腐れたらしいアルフレッドがようやくホックを外す。
 頭でも撫でてやろうと思ったが、緩んだ下着の隙間を見つめる視線に射抜かれて手が止まってしまった。
 シャツのときよりも幾分か乱暴に肩紐が抜かれて、ベッドの脇に放り投げられる。


「ほら、やっぱり中身じゃないか。綺麗だし、大きいと思うよ」
「そりゃどうも」


 下乳から指を滑らせられて、小さく声が漏れる。
 体の反応に対して、返した言葉が生意気だったからか、アルフレッドが苦笑を零した。
 ゆっくりとだけれど、形を確認するように両胸が彼の手に収まって肩が竦む。
 けれど、彼の指先が冷たいということはなかった。
 彼が興奮している証に触れて、下腹部がじんわりと熱くなる。


「――は、っ」


 胸全体を揉まれながら、頂点を指の腹で捏ねられている状況にくらくらした。
 身も世もなく喘ぐには些細過ぎる刺激なのだが、その分はっきりした頭で状況を確認できるので精神的にくるものがある。
 つんと立ってしまった先端をどこか嬉しそうにアルフレッドが片方を指の又で挟んで、残りを寄せた口内に誘い込んだ。
 吸ったところで何もないだろうに、乳輪ごと咥えては丁寧に吸い上げる。
 その間も五本の指が絶え間なく両胸を刺激していて、どんどん熱を持っていく己を自覚しないではいられなかった。
 何しろ、彼が馬鹿が付くほど熱心に胸を揉んでくるのだ。
 まるで、その曲線以外に何も存在しないかのような真剣さでひたすら胸を見つめられている。
 少数であるが恋人も作ったし性交渉にも及んだが、こんなにも胸を注視されるのは初めてだ。


「んぅ、アル、しつこ…っあ!」
「ふふ、アーサー凄くどきどきしてる。気持ちいいかい? ……ああ、顔も真っ赤だ。可愛いな」


 胸ばかりに固執されるのが嫌で不満を漏らした先に、アルフレッドがふやけてしまいそうなそこに歯を立てた。
 シチュエーションに対する興奮とは全く別の即物的な甘い刺激に、甲高い声を上げてしまった唇を噛み締める。
 ふわふわしているような、じっとりと熱を抱えているような調子でアルフレッドが笑って、強張った唇にもキスを落としてきた。
 苦言を聞き入れてくれたのか胸から脇腹に滑っていく指先に口元が戦慄く。

「あ、あ、だめ…脱ぐから」
「……そうだね、まだパンツも無事みたいだし。腰上げられる?」


 ズボンに手を突っ込まれて、下着の上から触れようとしてくるのを何とか押し留める。
 さすがに着替えたばかりの服を駄目にしてしまうのは忍びなかった。
 押し留められた手に何とか冷静を取り戻したらしいアルフレッドが深く深呼吸をしてから、ズボンから手を引き抜く。
 ついでのように臍の周りを撫でていく手に肌にふつふつと鳥肌が立って、一番熱を抱えているであろうそこからじわりと体液が滲むのを感じる。彼に言われるままに腰を上げたのは下着がどうこうという理由でだけではなかったのだろう。





 吃驚するくらい協力的。
 もしかしたら、潔癖そうでいてセックスは好きな方なのかもしれない。
 頭の端っこではそんな分析をしながらも、言われるままに腰を上げてくれる彼女の前ではどうでもいいことに思えてくる。
 下着ごとズボンを脱がせると、普段は明るい緑から充血しているからか少し黄色くなっているように見える瞳の境界が揺らいだ。
 膝に手を当てて股を開かせて、彼女の欲するままに眼鏡を外してしまったのを少し後悔した。
 それほど目が悪いわけではないけれど、やはりアーサーの細かな反応を見落としてしまうのはもったいないではないか。
 その代わりに膝から内股までのきめ細かい柔らかな肌をなぞっていけば、アーサーが小さく震えて喉を鳴らした。

 淡い茂みに守られたそこはまだ開き切ってはおらず、横に広げようと触れると内股に力が入ったのが分かった。
 熱い、のが自分の指なのかそれとも彼女なのか判然としない。
 隠された秘裂を広げると共に、熱っぽい吐息が零れだす。
 誘われるように視線を上げると、薄く開いた唇に握り拳を当てたアーサーがアルフレッドの挙動を見守っていた。
 瞳とかち合えば、一度視線を反らされてからおずおずとこちらを窺ってくる。
 定まらない視点が愛おしくて、自然と頬が緩んだ。
 それから視線を戻すと、見られているのが分かっているからかしっとりと濡れているらしい入口が誘うように震える。


「――舐めていいかい?」
「え、あ、なめる?」


 こくり、と自分が唾液を飲み込んだ瞬間、猛烈な衝動に襲われた。
 何人かと夜を共にしたことがあったけれど、こんな風に思うのは初めてだった。
 フェラチオがアブノーマルなのと同じくらいに、クンニだってそうそうする流れにはなるまい。
 けれど、この人の指で開いた柔らかな秘裂の感触を舌で味わって、反応し始めているだろう彼女の体液と己のそれを混ぜ合わせたい欲求に駆られた。


「うん、舐めたいな。嫌?」
「嫌というよりは、そんなの初めてだし、ええと、どうなっても知らないからな……?」


 随分無理な要求をしている自覚はあった。
 けれど、アーサーは恥だけではない理由で頬を染めながら、どこか不安そうな視線を向けてくる。
 一応の同意があるとはいえ、どうしてここまで受け入れてくれるのか。
 まるで盲目に愛されているようだ。
 堪らない気持ちになって彼女を抱きしめると、一変して不思議そうな瞳で見上げられた。


「どうした?」
「嬉しいんだ、凄く。君の初めてが貰えるんだから、嬉しい」


 睫毛の間に溜まった涙を舐めて、アーサーの耳元で囁いてやる。
 大袈裟だな、と笑う彼女も何となく嬉しそうで、先程浮かんだ思い込みのような気持ちが真実のように感じられてくる。
 いや、少なくとも今だけは紛れもない本当なのかもしれない。

 耳の輪郭にまずキスをして、次に顎、首筋、胸元、臍、下腹部と順々に唇を落としていく。
 目的の場所を口づける前に内股を甘噛みすれば、頭を軽く叩かれた。
 ぱっと見は細っこいのにつくべき所はしっかりとついているし、そこら中が柔らかいとなれば噛み付きたくなったってしかたがない。
 それよりも、この人は俺がその白い肌に吸い付かないようにどれだけ細心の注意を払っているのか分かっているのだろうか、とアルフレッドは思う。
 性行為に及んでいていえることではないだろうが、明日の朝に彼女が悲しむ要因は少しでも減らしたかったのだ。


「あ……んく、あ、アル…ふぁっ!」


 そっと口づけると、火照った柔らかな感触に神経が根こそぎ持っていかれそうになる。
 衝動に従ってべろりと舐め上げて、まだ覆いの下にある芽に噛み付いた。
 ぽろぽろ零れる甘い声と強い刺激が襲うたびに跳ねる腰に魅了されて、尿道の辺りを突きながらその覆いを指で除ける。


「あぅっ…ゃ、きたな……ひ、ぁ、あ……!」


 胸に吸い付いたときのように普段よりも膨らんでいるであろうそこを吸い上げながら舌で擦れば、アーサーの背中が綺麗に反ったのが分かった。
 足までぴんと伸びて、踵がシーツを何度も引っ張る。
 入口を指先でノックすると、制止するかの如く頭に手が乗せられた。


「っぁあ! ふぁあ…ゆび、だめぇ…」


 中指をふつりと差し込めば、すでにとろとろになった壁に迎え入れられた。
 視線を上げながらひだひだのそこを円を描くようになぞっていって、アーサーの指先が髪に絡む感触を楽しむ。
 一本しか指が入っていないのに、きゅっと締め付けてくる感覚に首筋がちりちりと焼けた。


「こっちは気持ちよくない?」
「ひんっ……! やぁ、しゃべっちゃ…っ、あ…は、〜〜っ」


 舌を当てながら喋れば、嬌声の間に非難されて口角が上がる。
 常々人は多少のサディスティックな面を持ち合わせていると考えているのだが、これはそういうことなのだろうか。
 上がる声は甘くて嫌がっているようには聞こえないのだけれど、彼女の本心は一体どこにあるのだろう。
 結局のところ、そんなことはどうでもよくて、更なる刺激をアーサーに与えようとアルフレッドは思考を切り替えようとする。
 つまり、つるりとしたそこにやんわりではあるが歯を立てて、堪えられないとばかりに頭を振って腰を引こうとするアーサーの背中とシーツにできた隙間に腕を入れたのだ。
 腕のせいで逃げられなくなったアーサーが声も上げられず、泣き出すのを堪えようとするように唇を横に引く。
 戦慄く唇からかちりと歯が噛み合うのが聞こえて、ふわふわと噛んでやれば震える吐息が吐き出された。


「ね、どっちが気持ちいい?」
「んんっ、あ…わかるかばか……! や、見るなって!」


 舌も指も一度引いて、彼女に問いかければ乱暴な言葉が返ってきた。
 苦笑で返して視線を秘された場所に戻すと、今更ながら額をぎゅうぎゅう押して抵抗される。
 舐められるのは良くて、見られるのが嫌という思考回路がよく分からない。
 ちょっと面倒臭いけど、可愛い人だと思う。
 額にかかる手の重みを感じながら、さっきまで自分が弄っていたそこを見つめる。
 刺激に反応してかクリトリスばかりでなく尿道付近もふっくらと膨らんで、アルフレッドの唾液で濡れそぼっている。
 けれど、奥に通じる辺りに零れだしている粘性のある体液とは全く異質なものなのが分かる。
 きゅうっと収縮したらしいそこから、とろりと零れだす粘液に思わず上ずった吐息を漏らした。


「やなこった。それよりもほら、分かるかい? ヒクヒクしてるし、膣から愛液が零れてきてる。見られるよりも触って欲しい?」


 わざと直接的な言葉を選ぶと、紅潮したアーサーの顔がくしゃりと歪む。
 ばか、へんたい、と震える吐息で罵られるけれど、途端に瞳に滲む情欲の色を前にすればスパイスの効いた肯定にしか聞こえなかった。
 ああ、やっぱりこの人はセックスが好きなんだろう。
 変態はそっちの方だろう、と揶揄してやってもよかったのだが、アーサーが改めてしまっては困るので黙っておく。
 えっちが好きな女の子を嫌いな男がいるのなら、捜してきてほしいものだ。
 考え違いをしていたと謝るのもやぶさかじゃないくらいには確信している。


「ひゃっ、あ、あるぅ!?」
「ん、こっちもだね」


 奥に繋がる入口にキスをすると、ひくんと愛らしく全身が震える。
 自然と力が入る指先が髪を掴んで、少しだけ痛かった。
 けれどそれを無視して、まず尿道に触れてから下から抉るように親指でクリトリスを刺激し、ついでに腰の下に入れていた腕でもってアーサーを引き寄せる。


「ゃっ…はい、てぇ……や、やだあ!」


 舌を尖らせて中に差し入れれば、酸い味が口内を満たした。
 別に美味しいわけでもないのに、もっと欲しくなって腰を引き寄せながら顔も近づけて挿入を深くする。
 きゅうきゅうと締まる内壁に酔いながら、怯えを含んだ甘い嬌声に耳を傾けた。
 いつか見たAVで女優がフェラチオをしながら美味しいと言い出して、あまりの白々しさに精神的に萎えたことがあったが、つまりはこういうことだったのだと思い至る。
 震えながらぎゅっと髪を掴んでくる指先とか、興奮して熱くなっている舌に負けず劣らず熱い内部とか、やだ、と悲鳴を上げながとそれでも受け入れてくれている彼女の優しさとか、そういったものをひっくるめて舌に転がってくる感覚が、つまりは。


「ふっ…ぁ、あ……だめ、ん…んぁ…」


 涙混じりの声音がとろとろと溶けてきて、代わりに背中にしなやかな足が摺り寄せられてきた。
 更なる愛撫を期待するような仕草に一気に腰が重たくなるのと同時に、今まで全く服を脱がなかったのを後悔する。
 できることなら、直接背中に膝が触れる感覚を味わいたかった。


「ひ、あ…ふぁっ……ん、ん……っ!」


 舌で触れる部分では飽き足らなくなって、代わりに指を二本まとめて奥に差し入れる。
 蜜壷が広げられる感覚にアーサーが大きく息を吐き出して、熱っぽく喉を鳴らした。
 襞を確かめるように指を広げながら撫で回していると、一瞬体が強張った場所があった。


「ここ、が気持ちいいんだ?」
「ひゃんっ! あぅぅ…きもちい、だめ、ぁあっ……そんな、したら…」


 恐らく裏Gスポットと呼ばれている場所だろう辺りを強く押し込んでやると、甘ったるい声でアーサーが啼いた。
 ぎゅっと閉じてしまったせいで零れだす涙を吸い上げてやりながらも、内を弄る指は止めてやらない。
 というより、オウム返しのように口を突いた快感の肯定に、アーサーに噛み付かないよう自制するのが精一杯だった。
 ああもう、何なんだいこの人。
 耳も頬っぺたも胸だって、噛り付いて食べてしまいたくなる。
 反対にもう一本増やしてやれば、耐え切れずにアーサーがしがみ付いてくる。
 ぐちぐちと鳴る粘っこい水音が大きくなると共に、指にかかる抵抗が減っていった。
 代わりに指に隈なく絡み付いてくるような感触に、自然と呼気が上擦る。
 腰に回していた腕を引き抜いて頭を撫でて、虹彩の輪郭を滲ませた焦点の定まらない瞳で見上げてくるアーサーの額にキスを送った。


「こっちは?」
「っやあああ! も、むり、ひんっ…むりだからあ!」


 指が攣りそうな気もしたが、誘惑に駆られてざらざらした表と裏を一気に刺激してやると身も世もなくアーサーが喘いで背中を逸らす。
 耳に舌を這わせながら、戦慄く唇をなぞってから指を入れて舌をからかえばくぐもった悲鳴が上がった。
 だめ、だめ、と声を上げるたびに、可愛い、綺麗だ、と耳に吹き込んでやる。
 そのたびに赤く染まる肩が震えるのが愛おしくて堪らない。


「あ、あんっ……! も、だめ…ひ――」
「だめだよ、まだ達っちゃ駄目」


 もう達してしまうであろうと思うその瞬間に、アルフレッドは指を止めた。
 ふるり、と大きく震えた体は熱のやりどころを失って、少しでも快感を得ようと納めたままの指を締め付ける。


「あ、アル、なんでえ」


 はくはくと呼吸を繰り返しながら泣きそうになっているアーサーの髪を撫でて、ゆっくりと指を引き抜く。
 その刺激ですら堪らないらしく、目尻から新たな涙がころりと零れた。


「始めは俺ので達ってほしいからね」


 実にガキ臭い自嘲ものの拘りだが、そうしたいのだからどうしようもない。
 それでも瞳を蕩かせながら頷いてくれたアーサーから体を離して、とりあえずシャツを脱ぎ捨てる。
 その仕草を彼女がじっと見つめているのが分かって、一気に頭に血が上がった。
 物ほしそうな顔と視線にこれからやるべきことが吹っ飛びそうになる。
 服を脱いだ後の一番大切な手順がどうでもいい些細なことに思えて、口内を噛んで何とか正常な思考を取り戻そうと努めた。


「ゴムはあるよな……?」
「あるとも」


 ジャージのズボンを脱いだ辺りではたと気づいたらしいアーサーが恐る恐る聞いてくる。
 色よい返事をすればあからさまにほっとした表情を見せられて、面倒臭いと思う気持ちはどこかに消え去ってしまった。
 彼女のためなら、それくらい何の苦労になるだろう。


「ちょっと待っててね」


 ヘッドボードに手を伸ばして、小袋入りのコンドームを引きずり出しながら傷をつけないように気を払いながら封を開ける。
 くるくる巻かれた状態のそれを手に残し、袋をそこら辺に放り投げた。
 それから自分のトランクスを脱ぐと、呆れるほどに反応した自身が現れた。
 触っているだけでこうなのだから、直接刺激がいけば一気に決壊してしまうのではないかと心配になる。


「な、なあおい」
「何だい、アーサー」


 いつの間にか足を閉じて膝小僧を合わせているアーサーに強張った声で呼びかけられる。
 こういうときに悠長に会話できるほどのスキルは残念ながら持ち合わせていないので、ちょっと静かにしてもらいたいのだが。
 さっきまでやあふあ喘いでいたくせに落ち着くのが早すぎやしないかと、彼女を見やると頬から膝まで白かったはずの肌は今も存分に紅潮しているのが分かる。
 少しでも呼気を整えようとこくりと喉を鳴らして唾液を飲み込むのが分かって、余裕なんて一片くらいしかないことに気がついた。
 その少しの余裕も無理やり作り出しているに違いない。


「あんまりにも、その。でかく、ないか」
「……ええと、ありがとう?」


 いやそうじゃなくて、と彼女が小さく首を振る。
 成長期に育つのは何も身長だけではない。
 他人と比較したことがないので何ともいえないが、どうやら大きいらしい位のことは相手方の反応を見て分かってはいた。
 だからといって、訳の分からないくらい大きいだけでもないだろう。


「でもさ、別に処女ってわけじゃないんだろう? 大丈夫だって」
「ん、や、そうなんだけどな……その、久しぶりだから」


 瞳にありありと浮かぶ緊張と困惑の色に嗜虐心を煽られそうになるが、手早くコンドームを装着して彼女の額に唇を落とす。
 その位置に額を当てると、ゆらゆら揺れる瞳と視線を合わせた。


「分かったよダーリン、ゆっくりしよう」


 鼻を鳴らすような了承を得て、どうしても口元が緩んでしまう。
 それを見たせいか、アーサーもへにゃりと笑ってくれた。
 別に痛みで彼女を泣かせたいわけではないのだ。


「膝を、うんそう、いい子……挿れるよ」


 膝に手を当てれば、自らで開いてくれる。
 頭を撫でて褒めながら、背中に回される両腕を享受した。
 片手で誘導しながら、ゴム越しの自身を彼女の入口に当てれば小さく肩が震える。


「ん…ふぅっ……っあ、ゃ、くぅ…んっ!」


 小さく頷いた彼女の唇に何度もバードキスをしながら、じりじり腰を進める。
 圧迫感に喘ぐ彼女の吐息を唇に感じて、一気に貫きたい衝動に駆られるのをなけなしの理性を掻き集めてなんとか抑えた。
 久しぶりだと彼女が告白した通り、そこは狭くて随分熱かった。
 ぎゅうぎゅう押し返そうとする反応に耐え切れず、アルフレッドの喉が鳴る。
 このままだと女性のようにとはいわないが、男優のように喘ぎ出しかねない。
 それだって悪くないのかもしれないが、彼女の声が少しでも遠くなるのはいただけない。
 だから、競りあがってきた声の混じった空気を飲み込んで、何とか彼女に抱きついた。





 見たときに思わず聞いてしまったけれど、じわじわと押し入ってくるそれは予想通りかなりの圧迫感をもたらした。
 痛みもあるのかもしれないが、ともかく広げられる息苦しさが勝ってよく分からない。
 深く呼吸をしたいのに、穿たれているそれのせいで浅い呼吸しかできなかった。
 処女でアルフレッドの相手をした人がいるならば、きっとその娘は泣き喚いていたことだろう。
 けれど、経験のあるアーサーにとっては感じるのは苦痛ばかりではなく、むしろその痺れが彼を締め付けて自分を苦しくさせているのに一役買っているように思えた。


「――ふ…ぅ、っあ……ああっ!」


 最後の最後にアルフレッドが体をきつく抱きしめてきて、奥まで一杯になる感覚に苛まれた。
 ぴんと張ってしまった足の小指が攣りそうになるけれど、対処法が分からないままに彼の背中を強く抱きとめる。
 ぴったりと合わさるしっとりと濡れた肌の感触に、どうしてか新たな涙が浮かんだ。
 体中がぐずぐずなのに、ただ一点で明確に分かれている感覚にほんの少し切なくなる。
 体内で主張する違和感すらも、蕩けてなくなってしまえばいいのに。


「ぁ…アーサー、アーティー、お願いだからちょっと緩めて」
「んぅ…むり、ってお前……」


 耳元で零れた上ずった声に誘われてアルフレッドを窺うと、真っ赤に染まった頬が目に止まった。
 締め上げられる快感からか解けた口元に、興奮で赤みが加わって黄緑の色味を感じる瞳。
 おまけに眉間に力を込めて、湧き上がってくる衝動を抑えようとしているのがありありと分かった。
 アーサーを目の前にしてこの男はどうしようもないくらいに興奮しているのだ。
 なんて、愛おしいのだろう。
 男臭さに当てられるだけではないらしい感情の起伏に従って、ゆるりと頬を緩めた。


「アルフレッド、アルフィー、可愛いなあ」


 息苦しさからはふはふと呼吸を繰り返しながら、合間合間で彼の名を呼ぶ。
 愛称で呼び合うなんてどれくらいぶりだろうか。
 ついでに頭を撫でてやれば、ぽかんとしていたアルフレッドが途端に体を起こした。
 きゅっと閉じた唇が子供の癇癪が爆発する寸前と幾分も違わぬ戦慄きを起こす。


「〜〜可愛いのは君の方だろう! そんなこといえるんなら、もう動くからね!」
「え、くんっ! うぁ……は、ぁ」


 場違いな溌剌さでもってアルフレッドが宣言するや否や、ぐっと腰を進められた。
 そもそも収めきっているというのにそれ以上に入り込もうとする熱に背中が反って、腰が逃げようとする。
 かと思えば一気にアルフレッドが腰を引いて喪失感に首筋がざわついた。
 上唇と下唇が重なり合った場所が体温で嫌に乾いてくっついてしまったのか、アルフレッドが少しだけ舌を覗かせてなぞるように舐める。
 やけに芝居がかった仕草すら、惑った精神には毒だった。
 心臓が嫌に早く打って、耳の血管が波打つのが分かる。
 きゅうきゅうと絞られる心臓が、体が辛い。
 どうか、どうか早く何とかしてほしい。
 体中を駆け巡る焦燥と期待に、空気越しですら彼の体温が感じ取れるような錯覚に囚われる。


「アーサー、好きだよ、愛してる。ずっとずっとこうやって触れたいと思ってた」


 一時的に潤った唇でアルフレッドが囁いて、汗で額にこべり付いたアーサー前髪を払う。
 そこにキスをくれて、溶けるような笑顔でもう一度愛していると告白してくれた。


「……おいで」


 愛おしいと、触れてほしいと思うのに。
 それでも、彼のように告白できるような感情が自らに潜んでいるとは思えなかった。
 けれど、アルフレッドの抱えている思いを受け入れてやりたくて、彼の頬に手を伸ばす。
 アルフレッドは少し辛そうなのに、本当に嬉しそうな笑顔を浮かべた。
 アルフレッドが本当に願うような気持ちを返してやれなかったことが、その笑顔に対する喜びにちらちらと罪悪感を降りかける。


「ぁああっ…ん、んぅ……ふ…」


 けれど、そんな気持ちもやけに大きいリップ音が耳元で響くのと同時に押し入ってきた熱に四散する。
 一度入りきったとはいえ、まだ馴染んでいない大きさに膝が閉じようとするけれど、太股をアルフレッドの腰に擦り付けるだけだった。
 その感触にアルフレッドが微笑んで、ゆっくりと腰を動かしながら右の足に触れてくる。
 太股から臀部まで指を這わされてきつく揉まれると、内部まで影響するのか情けない声が口を突いた。


「ふぇ…ぁ、や……ひゃん!」


 そのままぎりぎりまで引き抜かれたと思ったら、一気に奥まで突き上げられる。
 腰が跳ね上がった勢いのまま逃げようとするのに、首の下に手を回した状態で頭を固定されて半ば抱きかかえられている状態のせいで碌に動けない。
 いきなりの衝撃を体を捩って逃がすことも許されず、くん、と首だけが反り返る。
 追いかけるように腰を震えさせた熱が背筋を伝って駆け上がってきて、体中が震え上がった。


「っ、あ…」
「アーサー、可愛いな、凄く可愛い」


 かぷりと首筋に噛み付かれて、熱っぽくなった思考に怖れが混じる。
 甘噛みしたそこに口付けてからアルフレッドは夢見心地といった風体でアーサーに呼びかけた。
 それから急に尻と頭を支える手と覆い被さってアーサーの自由を奪う体を意識して、その怖れの実体に気がついた。
 頭から爪先、その上内側までアーサーはこの人に支配されているのだ。
 身の竦むような、けれど思うだけで先程までの即物的な快楽とは別の甘い気持ちが身を包んだ。
 視線が合う。ただそれだけなのに。

 ああ、食べられてしまいそう。
 熱に浮かされていながらもぎらぎらした瞳がそこら中を暴くだけでは飽き足らないというように、アーサーを見つめて、そして。


「っ…どうしたんだい? きゅうってなってる。動いてないのに気持ちいいの?」
「ん、んん……だって、アルが……ぁ、あ、あ」


 俺のことを食べようとするから、と続けようとした言葉は動き出した熱のせいで吹っ飛んでしまった。
 ぎゅうぎゅうに締め付けて彼の動きを阻害するのは自分でも分かっているのだけれど、もはやどうしようもない。
 上の方を探られる動きにふるふると首を振るのに、アルフレッドは笑みを深めるばかりか舌と指で耳を愛撫してくる始末だ。
 戦慄く唇の端から涎が零れたけれど、それが何を意味するかも分からない。
 けれど、アルフレッドが楽しそうに弾んだ吐息を漏らしながら口角を舐め上げるので、悪い気は全くしなかった。


「ああ、もっと前の方だったっけ……?」
「ふぁっ! あ、や」
「だめだよ、逃げないで」
「ひ――うあっ…あああっ!」


 熱心で真剣な響きを帯びた自問と共に、入口付近の天井を抉られた。
 覿面に反応した体が、腰が逃げようとするのに、やっぱりアルフレッドはそれを許さない。
 それどころか浮き上がる腰を押さえつけられて、下がったそこを重点的に突き上げられた。
 上がる声に引きずられるように後から後から涙が溢れ出す。
 角度のせいか空気が入り込んで淫猥な水音がぐぷぐぷと鳴り響いて、どうにか残っている理性が悲鳴を上げた。


「あんっ、や…だあ、そこば…ひぁっ! あ、うぅぅ……っ!」
「どうして? 気持ちよくないかい? そんなふうには見えないけど」


 アーサーを苛む動きは緩めないまま、アルフレッドは睫毛ごと涙を舐め上げる。
 それを合図に首の下から腕を引き抜いて、背中を丸めたようだった。
 すうっと入り込む空気が嫌に冷たくて、とんでもなく熱を抱えている体を自覚させられる。


「それともこっちも触ってほしい?」
「うあっ! あ、ぁあっ……ゃ、あ!」


 随分長い間放って置かれたはずなのにぴんと張りつめたままだった胸の先端をきゅっと絞られて、一瞬視界が白ばんだ。
 片方だけしか弄られていないのに、おざなりにされた方までちりちりとしてきて本格的に泣きが入りそうになる。
 やだ、ちゃんと、両方とも。
 喉と唇の制御ができていたのなら、そう言ってしまっていたかもしれない。


「奥も、だね」
「んぁああっ! ふあ、ひぅっ…ひゃあん!」


 そう宣言して、入口辺りばかりを行き来させていたそれをアルフレッドが一気に奥まで押し込んだ。
 肩と腰を支点にして体がぴんと張るのだけれど、持ち上がった胸を舌で突かれて体のやり所が全く分からなくなる。
 それなのに思考の端々まで幸福感で満たされる感覚にアルフレッドの頭を抱きしめて、何度も彼の名前を呼ぶ。
 それも熱い舌と指先で胸を弄りながら、彼をきゅうきゅうに締め付けている内壁の天井を擦りながら奥まで押し上げられれば、まともな呼びかけすらおぼつかない。


「んぅっ! あぅ…っ、も、や…ゃあああっ!」
「は…あ、ほんとは裏も気持ちよくしてあげたいんだけど……また今度ね」


 さっきから聞こえていたはずの水音が段々遠くなって、アルフレッドの囁きもよく分からない。
 それでも断片的に聞こえてきた言葉を熱に犯された思考で組み立てようとする。


「ん、ふっ…ぁ、こんど……?」
「うん、君がこの後もそうしたいって思ってくれるなら」


 額から滲むアルフレッドの汗がはたりと胸元に落ちてくる。
 彼の体中はびっくりするほど熱くなっているのに、どうしてそんなに怯えた表情をするのだろう。
 涙でぼやけた視界でも分かるほどに明確に浮かんだ感情が不思議でならない。
 まるで、そんなことはありえないというような、そんな顔だった。


「ん、大丈夫だ。やくそくな」


 だからそんな顔はしないでほしい。
 汗でべたべたになった背中をぽんぽんと叩きながら、アルフレッドに笑いかける。
 涙や汗に塗れた顔だから随分不細工になっているだろうけれど、それを見た彼は元々紅潮していた顔をばふんと効果音が起きそうな勢いで真っ赤にした。
 うな垂れた首の後ろまで赤くしているアルフレッドが小さな声でありがとうと口にして、おずおずと視線を合わせてくる。
 ああ、なんて可愛いんだろう。


「ええと、その、動いてもいいかい?」
「ん――ぁ、んぅう! あ、あるぅ」


 いつの間にか止まっていた腰を進める許可をわざわざ聞いてくるアルフレッドに頷いて答えた瞬間、派手なグラインドをされて慌てて彼に抱きついた。
 耳の裏に舌を這わせられると、腰が震えるのを感じる。


「ひぁ!? や、おっきく…あ、ぁう、あああっ!」


 絶頂が近いのかより膨れ上がろうとする熱がアーサーの蜜壷をぐっと押し広げる。
 馴染んでいたそれがまた違和感を持ち始める感覚に、思考が一面に塗り潰された。だめ、もう。


「も、あっ、だめぇっ…ふぁああっ! も、いっちゃ……!」
「ぅあ…ん、いいよ、達って!」


 ごりごりと遠慮なくそこら中を抉られて、本来なら痛いくらいなのではないかと思う。
 けれど、今分かるのは体の芯までとろとろに溶かす快楽しかなくて、もっともっとと本能に近い何かが泣き喚く。


「あ……ぁあああっ! ひっ、ゃだあっ…もぉ、あっ、ひぁああああっ!」


 一瞬、赤か白か、それとも黒かに視界が塗り潰されて、貧血のような感覚に襲われた。
 膜を張ったような鼓膜の向こうから、自分の遠慮なしの悲鳴に紛れてアルフレッドの充足した吐息が聞こえてくる。
 強張った肩に額をつけるアルフレッドの体温すら刺激になって、開ききった口元からぼろぼろと嬌声が零れ落ちた。


「ん、ぅ…は、アーサー……」
「は…ふぁぁ、あつい…あ、あ……っ!」


 熱い、熱いんだ。
 指先まで冷え切った体を湯につけたような痺れを孕んだ熱があるのに、アルフレッドは奥深くで更なる熱を注ぎ込んだ。
 コンドーム越しといったって、一ミリ以下の障壁を知覚できるはずもない。
 達して敏感になっているとろとろの壁が痙攣して、彼を引き絞る。
 そのたびに熱の塊がぐちゃぐちゃになったそこを叩いて、あ、あ、もう、気持ちが良すぎて。

 一際大きく体が震えたけれど、声を上げる余力もなかった。


「は…あ……え、アーサー!? 大丈夫? ちょっと!」


 欲を吐き出しきって一心地ついた途端に、背中に回されていた腕が滑り落ちたのに気がついてアルフレッドが素っ頓狂な声を出す。
 大丈夫って言ってやりたいのに口も動かすのが億劫だし、当然シーツに落ちた腕も回線が遮断されてしまったかのように動かない。
 一点を極めて小波のようにあっさり去っていった熱の代わりにやってきた別の甘い欲望に抗う術を今のアーサーは持ち合わせてはいなかった。
 とろんと瞼が重くなって、抗えない睡魔に沈みながらほんの少し前まで酔っ払っていたことを思い出す。

 アルフレッドが某か言っているが、それももう分からない。
 けれど、慌てまくるその調子が面白くて、ひっそりとほくそ笑みながらアーサーは眠りの淵に身を落とした。

 と、いう経緯があったのはおおよそ何時間か前のこと。
 先程までアルフレッドと分け合って眠っていた布団を奪い取って、アーサーは丸まりながら悔恨していた。
 寒いだの何だの言いながら、アルフレッドが布団を引っ張るのを全身全霊で拒否する。
 止めてくれ、当然ながら全裸なんだ。

 ああしかし、実の母はともかく彼の父親にどうやって顔を合わせればいいのか。
 酒の勢いと彼に対する愛情で思わず一夜を過ごしてしまいました? 責任は取ります?
 いやいや、それよりかはなかったことにしてしまう方がいいのではなかろうか。
 そう、一度の気の迷いにしてしまえばとは思うのだけれど、昨日の出来事は嫌というほど、一つ残らず覚えているのだ。
 縋るような口調に流されたのか、次の機会を約束してしまったのが脳裏にこべり着いて離れない。
 アーサーが覚えているのだから、アルフレッドが忘れているはずがない。
 というより全面的に受け入れられたからこそ、厚かましいくらい大胆に布団を引っ張っていられるのだろう。

 では、混乱の只中にいるものの、素面になってしまった自分は昨夜の己の言動をどう顧みるのか。
 率直に求める指先や熱に浮かされたような睦言の数々に、生理的な嫌悪を感じるとでもいうのか。
 いや、と首を振って否定する。
 今思い出してもぽっと体の芯に火が灯って、甘まやかな感情が蘇るのだ。


「アーサーったら!」
「ちょ、こらどけ! 自分の体重を自覚しろ!」
「だって、寒いんだぞ!」


 ずん、と効果音が聞こえそうな勢いでアルフレッドが背後からしがみ付いてきて、暖かな感情諸共肺の空気が一気に吐き出された。
 久々の情事のせいで違和感のあった腰が本格的に軋んで悲鳴を上げて、思わずアルフレッドを怒鳴りつける。
 そうしたら深刻さの欠片もない主張が返ってきて、馬鹿馬鹿しくなって溜め息を吐いてしまった。


「……それとも俺の顔はもう見たくもないのかい?」


 体重を逃がしてくれたと思ったら、アルフレッドが布団越しにアーサーを抱きしめて声を低くした。
 全ての問題は解決したというふうに振舞っていたと思い込んでいたが、彼だって溜め息一つで揺らぐくらいには不安を抱えていたらしい。
 ああ、どうしたってこんなにこの男は人の気持ちを甘ったるくさせるのか。
 この気持ちが恋かと聞かれれば、アーサーは首を傾げるだろう。
 たとえば今まで付き合った男が自分を束縛しようとすれば、酷く腹を立てたに違いない。
 けれど、アルフレッドにどこにも行かないでとせがまれてしまえば、ごめんなさいダーリンとでも言ってしまいかねないのだ。
 この、甘やかしたい、喜ばせたいと思う気持ちに一体どんな名前を付ければいいのか。

 分からない。
 けれど、その欲求に従ってアーサーは布団の隙間から手を伸ばして、アルフレッドの少し冷たい手に指を絡めた。
 言葉もなく抱きしめる腕の力が強まって、どこかに飛んでいってしまっていた感情が舞い戻ってくる。
 アルフレッドが指を一度解いて指の一本一本を綺麗に絡めてきたので、アーサーは背後から伝わる思いに負けないよう指先にそっと力を込めた。