台所まで行って、水を飲んで一息ついた。
 その間も延々と電子音が鳴り響いていて、思わず溜息を吐く。
 普通なら十回も鳴らない内に留守番電話の設定に移るはずなのに、誰だか知らないが改造してしまったらしい。
 そのせいで、誰かが出るまでロシウがかける電話は止まることを知らない。
 少しずつ主権を移していってようやく引き継ぎも終わりに近づいている頃だから、細かな連絡が入るのはしかたがないし、いつ電話をくれても構わないとは言ったものの。
 何の恨みがあってこんなタイミングで、と口に出しかけて、思い当たる節がありすぎたので口を閉じた。


「悪い、遅くなった」


「いえ、こちらこそこんな時間にかけてしまってすみません」


 少し疲れが滲む声音に一瞬自分は何をしているのかと叱咤しそうになりながら、気にするなとロシウを労る。
 できることなら早く済ませてほしいと頼もうと思ったが、良心が押し止どめた。
 なによりも大人のお楽しみ故、さっさと仕事を片付けたいだなんて言った翌日に顔を合わせられる気がしない。
 お楽しみ云々が問題なのではなく、相手が徹夜に近いのではないかという程の残業をしているからなのだけれど。


「で、何か問題でもあったか?」


「少し資料の関係が混乱した部分があるので、そこの確認をお願いします」


 受話器の向こうから紙を捲るかさついた音が耳に響いて、シモンはさっさと仕事を終わらせるべく意識を集中させた。



「……以上で問題ありませんか?」


 齟齬のある部分を指摘して、この言葉が聞けるまで18分。
 深夜の電話としては普通の通話時間だが、今夜ばかりは特別長く感じた。
 本当は読み上げてもらうなり修正した資料を送ってもらうなりするのが正しいが、もう解放してほしくてしかたがない。


「ああ、良いと思う」


「分かりました。ではこれで失礼します」


 恐らく感じ取っていたのだろう、何げない風だったがロシウがいともあっさりと解放宣言をした。
 ここでありがとうとか言ってしまうとロシウの気遣いが無駄になってしまいそうだったので、じゃあなとだけ返す。
 おやすみは間違いなく禁句だ。


 電話が切れると台所のテーブルに受話器を放り投げるように置いて、シモンは踵を返した。
 どうにか押さえていた欲情が首をもたげ、今は一秒でも惜しい。
 けれど走り込むのもどうかと思うくらいの正気は残っていたので、足は早歩き程度に抑えて部屋を目指す。


 少々乱暴にノブを回して戸を開けると、何故かベッドの上にシーツがない。
 ついでにヴィラルの姿も見えなくて、シモンは思わず息を飲んだ。


「……ヴィラル?」


 恐る恐る呼んでみても返事がない。
 どこに行ったのかと踵を返そうとした視界に白色が飛び込んできて、シモン捩じりかけていた上半身を戻した。


 ベッドの足側と壁には4、50センチ程の隙間があって、放って置くといつの間にか物が溜まっていたりする。
 なくし物がそこから出てくることもあるので収納箱か何かで埋めてしまいたいと思いつつも、ずるずるとそのままにしてある場所に白い塊があった。
 大きさからしてシーツを被ったヴィラルに相違ないのだけれど、どうしてまたこんな所に。


「ヴィラル」


 近寄って呼びかけただけで肩が震えたが、無視してその肩に触れると派手に縮こまった。


「いや、だ。シモン、はな――ゃ、ぁ」


 シーツの隙間から手を入れて、肌に触れただけでヴィラルは小さな悲鳴を上げた。
 顔を上げさせると上気した頬と荒い息がシモンの手に伝わる。
 どうしようもない熱が空気を伝ってやってきて、呆然としている内にヴィラルが再びシーツを被ろうともがきだした。


「こら、ヴィラル!」


「やっ……!」


 いやだと叫んで小さくなるヴィラルを無理やり持ち上げて、ベッドに押し込む。
 派手に暴れられる前にマウントを取ると、ヴィラルは怯えたように息を凍らせた。


「薬きつすぎたかもな」


 先程までとは明らかに違う反応に、罪悪感と仄暗い欲求が沸き起こる。
 欲求に従ってシモンはごわごわな上着に手をかけた。


「シモンなにして」


 シモンが脱ぎ捨てた上着を見てヴィラルが非難の声を上げるが、シーツの上から胸の頂点を潰しただけで音質が変わる。


「だってあのままじゃヴィラル暴れるだろ?」


「っあ! や、っん…シモッ……ふく、たのむ、から…っ!」


 悲鳴を上げながらも服を着ろと要求するヴィラルの手を撫ぜて、シモンはヴィラルの耳を噛んだ。
 裏側を舐めてやると引きつった嬌声が上がる。
 耳から口を離すと、ぽろぽろと涙を零すヴィラルが目に映って思わず手を止める。


「……そんなに嫌?」


「何もこんな時じゃなくたっていいだろう……!」


「じゃあ、今度の時は着ないからな」


 え、と少し間抜けな声を聞きながら上着を再び着ると、忘れないようにと念を押す。
 何かに無理に操られているようにヴィラルが首を縦に振るのに笑みを零して、自分のズボンに手をかける。
 性急とも取れる行動にヴィラルが当惑の視線を寄越してきたので、ジッパーを下ろした中途半端な状態でシーツと絡まる金の髪に手を伸ばした。


「ヴィラルがえろいから俺、もう限界。あまり慣らしてはないけど、いけなくはないだろ?」


 シーツを退けて髪を梳いてからヴィラルを窺うと、目まで赤くなってしまいそうな顔で俯いていた。
 顎を掬い上げて合わせた視線は羞恥と困惑と苦痛が入り交じっていて、思わず大きく一つ瞬き。
 苦痛って何だ。


「……怖い、シモン」


「どうして」


 赤みを帯びた視線がふいと下を向いて、金の睫が影を肌に落とした。


「お前に何をしてしまうか分からないから、怖い」


 シーツを隔ててシモンの腕を掴むヴィラルの腕は熱くて、少し震えていた。
 一音口にする度に漏れる息も酷く熱い。
 肌から上がる気配も甘く感じて、全てが彼女の高まりを物語っているのに。


「……じゃあ、止めるか?」


 と言ったところで止められるはずがないと分かっていて言うのは我ながら狡いとは思うのだけれど。


「止められるか?」


 黙り込んでしまったヴィラルの耳に吹き込んでやると、彼女の肩が鋭く跳ねた。
 救いを求めるようにヴィラルが見上げてきたので、シモンはヴィラルの額にでこぴんをお見舞いしてやる。
 驚愕に見開かれた目にシモンは一本指を突き出した。


「大丈夫だって。お前が多少暴れたところで死にはしないし、伊達に螺旋力の塊やってないさ」


 一瞬硬直してシモンの指を凝視したヴィラルがでも、と口籠もる。


「デモもストもない! 俺が女だったら問題だけど、男なんだから跡が残ったってむしろ勲章なんだぞ?」


 一喝してから語調を緩めて頬を撫でてやると、ヴィラルの瞳がにわかに揺れた。
 後もう一押しするべきかと言葉をこね回している間に、腕を掴んでいる手に力が入ってわずかに引かれる。


「すまない……」


 尻すぼみになっていく声と共に肩口にヴィラルの額が沈む。
 曖昧な言い方だが、背に回される両手が真実を語っていた。