唇に感じたのは指先の芯がある柔らかさではなく、小さく滑らかな堅い塊だった。
 何かを摘まんでいるその腕をヴィラルは掴んで外してから、それが何であるかを確認した。
 二つの指で挟んでいるのは風邪薬ほどの白い錠剤のようだ。


「なんだ、それは」


 問いかけるとシモンは摘まんでいた塊をもう片方の手に落とし、すべらかな表面を見詰めた。


「一種の興奮剤、だそうだけど」


 興奮剤と聞いてカフェイン、カンフルなどの名前が浮かぶが、一種のというシモンの言葉が引っ掛かった。
 自室に二人きりでベッドに腰掛けているこの状態で考えられる意味はただ一つ。


「……媚薬か」


 呆れたというか何というか、飽き足らないのだろうか。
 いや、飽きたからこそ変化を求めようとしているのかもしれない。
そう考えると少し悲しくなる。


「や、本物かどうか分からないのだけどな。貰い物だし」


「人に得体の知れん物を飲ませようとするな」


 いくら不死身だとはいっても血が足りなくなれば動けなくなるし、毒を飲めばそれなりの反応があってしかりだろう。
 冗談だったとしても、唇に触れてしまった時点で体内に入らないとは限らない。
 シモンの手の中にあるそれを奪い取って、ヴィラルは寝台の脇にある台に丁寧に置いた。
 物が物だけにただごみ箱に捨ててはまずいはずだ。


 シモンはヴィラルの動作を見てから、悪い悪いと笑った。


「安心して、飲ませたのはちゃんとした本物だから」


「は?」


 シモンの笑顔は今日は良い天気だと言うときような何げないものなのだが、不穏な物言いとあいまって不気味に映る。


「私が媚薬を……?」


「ああ、さっき」


 シモンに詳しく説明されるまでもなかった。
 間違いなく、さっき外で飲んだ新作らしい清涼飲料水だ。
 仕事も終わって皆でもう帰るだのまだ帰らないだの話しているときにシモンが持ってきて、試飲したあの。
 結局は外れだったと満場一致したのだが、初めて飲む物なのだから多少変な味であってもそんな物なのだろうと飲み切ってしまった。
 本当はもう少しましな味だったのかもしれないが、あの状況であの味がまさか薬が入っているからだなんて誰が考えるだろうか。


 急いで立ち上がろうとしたのに、腕がくんと引かれる感覚に勢いが鈍る。
 抵抗を感じた先を見ると案の定シモンの手があった。


「放せ」


「嫌だ」


 ヴィラルの要求を一蹴して、シモンが中腰になったヴィラルを後ろから抱き込む。
 すぐさまベッドに座り直すと半端にヴィラルを横抱きしているようになった。


「放せと言っているだろう!」


 トイレで吐いてくると喚きながら、抵抗してヴィラルが暴れるのをシモンが無理やり押さえ込んだ。
 結構真剣にヴィラルが抵抗していたのだけれど、隙をついたシモンがヴィラルをシーツに沈ませる。


「シモ、…ん……ぅ、ふ…」


 ヴィラルが名前を呼んで抗議する前にシモンが口を塞いだ。
 唇の感触を楽しむような間もなく、開いていた口に舌が滑り込んでくる。
 半端に開いている歯の間に遠慮なく舌を入れようとするから、思わず口を余計開いて招き入れてしまう。
 シモンが小さく笑う気配がして口を閉じてやりたくなるが、口を閉じてしまえば冗談抜きで大惨事になりかねない。
 それを逆手にとってシモンが強引に口づけを深めることが何度となくあり、自分の歯の形が恨めしかった。


 せめてでもと縮こまらせた舌もすぐに搦め捕られて、吸われると背筋がぴんと緊張する。
 それを合図にしたのか、シモンが一度唇を離すと同時に耳たぶを擦りあげた。
 大きく息を吸おうと思っても耳からの刺激のせいで、逆にすでに熱っぽくなっている息を吐くしかできない。


「んんっ…は……ぅ」


 だったら鼻から吸えば良いのだけれど、小刻みに口の覆いを外される度に息ができなくなって段々くらくらしてくる。
 シモンの胸を押していた手もいつの間にか服を掴んでしまっていて、いくら酸欠だといってもいつもならこんなすぐに参ってしまうことなどないのにと訝しむ。


「…っあ」


 服の上から胸の頂点を潰されて喉から漏れた嬌声を聞いて、ようやく薬のことに思い当たった。
 ああ、だからこんなにも。


「手、退けて」


 口づけから解放されて大きく呼吸していたら、耳元で囁かれて息が詰まる。
 ヴィラル、と促されてからやっと言葉の意味と取るべき行動が繋がってシモンの服から手を放し、ベッドに投げ出した。


「は…ぁ、……んっ」


 耳を舐められてヴィラルが目を閉じると、ベッドが大きく軋むのを感じる。
 耳への侵入が大きくなって肩を竦めたのと同時に胸元に少し冷えた空気が当たり、服を脱がすのに腕が邪魔だったのだと言葉の訳に今更ながらも気が付いた。
 シャツのボタンが全て外れてから、シモンが首筋に顔を埋める。
 すぐに跡の消えてしまう肌をそれでもきつく啄みながら、パットの入っていない下着の上から胸に触れる。


「ン…シモン、脱がさないのか?」


 生地と肌がいつもとは違う風に擦れる感触に一度瞬きをしてから、鎖骨に舌を這わせるシモンに問う。
 実際のところ、服は脱いでおいた方が後々楽なのだ。


「このままじゃ駄目か? ちょっと余裕ない」


 シモンが顔を上げてヴィラルと視線を合わせて意向を伺うのを、ヴィラルが耐え切れずに視線を逸らす。


「……勝手にしろ」


 男が上目使いをするのは反則だと思う。


 分かった、とシモンは言うや否や背中に手を回そうとするので、背を逸らせて空間を作ってやる。
 するとシモンが慣れた手つきでホックを外して、そのまま下着を上に押し上げた。


「あ…ん、ん!」


 シモンが胸に顔を埋めたかと思うと、頂点に歯が立てられるのを感じて軽く背が反った。
 見下ろすが押し上げられた胸当てが邪魔で、シモンの動向がよく分からない。
 放っておかれた方の膨らみもじきに掬うように揉まれ、先を指先で捏ねるように潰された。


「なんで胸ってこんなすぐに熱くなるんだろうな」


 触ってみるかと言われて、セクハラかと首を横に振る。


「リーロンにでも聞いてみたらどうだ」


「それは……遠慮しとこうか」


 一瞬言い淀んでシモンが苦笑するのを、ヴィラルは得体の知れないものを見るような気持ちで見た。
 服を脱がす余裕もないと言ったとはどこの誰だ。簡単に嘘ばかりつかれ、多少なりとも腹が立った。


「ん、どうした?」


「思ったより余裕だな。こっちばかり盛り上がっても悪いだろう、もう遅いかもしれないが吐いてくる」


 退けとなるべく平然を装いシモンの肩を押して上体を起こそうとすると、シモンが慌てた様子で押し返した。
 そんなに平生の自分を抱きたくないのかと、ヴィラルは眉根を寄せた。


「ちょ、ちょっと待った! 俺だって我慢してるんだって!」


「わざわざ自制する必要がどこにあるんだ? 薬が効くのを待っているのか?」


 自分で言っていて辛くなって視線を逸らす。
 図星だったのだろう、シモンがヴィラルの肩を押したまま息を飲んだ。


「そんなことしなければ楽しめないほど私はつまらないか」


 物か何かと勘違いしているんじゃないか、とあからさまに非難しているようにしか思えない言葉と響きにすぐさま後悔する。
 けれど間違いなく本心だった言葉を吐き出して、予想以上に自分は傷ついていたのだと気づく。
 そうして同時に、男に対する執着の深さに身震いの思いがした。
 なんて不毛な感情なのだろう。彼は一時の存在にすぎないのに。


 こんなときにどう言えばいいか全く分からなかったが、ただ口を開けば言ってはいけないことばかり言いそうなので口を閉ざす。
 先程から効き始めていた薬の効能か心理的なものなのか、シモンの視線をやけに感じてしまい、酷く居心地が悪かった。